「内田絵子と女性の医療を考える会」講演会(2002年3月9日)
 

がんとうまく長くつきあうために 

〜人間の人間に拠る人間のための医療〜

 2、がん医療の流れ 〜がんとうまく長くつきあう〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

がん医療を治療目標によって分類するとこうなります。がんの根治が難しいとわかったあとでの医療を、私は幅広く「緩和医療」と呼んでいます。

 

 

 

 

 

 

治療内容によって分類するとこうなります。がんを直接たたく積極的治療と直接たたくわけではない支持的治療があります。

 

 

 

 

 

 

現在の日本医療では、根治治療と緩和医療の間、積極的治療と支持的治療との間に断絶があります。一般病院ではひたすら根治治療として積極的治療だけが行われ、ホスピスでは、積極的治療がまったく行われません。

 

 

 

 

 

「ひたすら積極的治療」から「一切の積極的治療を放棄」への移行というのは、たしかに絶望的な響きがあります。積極的治療と支持的治療とのバランスが悪く、all(全)かnothing(無)か、という発想しかないために、こういう絶望の瞬間が作られてしまうのです。

 

 

 

 

この考え方のもとでは、緩和医療というのは、絶望の宣告のあとに行われるものであり、「絶望の医療」と思われるのも仕方ありません。結果として、積極的治療を行うことが「絶望」を避けるための手段としてもてはやされ、患者さんは、つらい治療にすがり続けます。

 

 

 

 

 

 

このようなバランスを欠いた医療が、本当に患者さんのためになっているとは思えません。私の考える理想的ながん医療を提示します。

 

 

 

 

 

 

私の考えるがん医療の流れを図にしたものです。治療の目的が根治であれ、がんとうまく長くつきあう緩和医療であれ、積極的治療と支持的治療がバランスよく行われるべきであり、どこにも断絶はありません。

 

 

 

 

 

根治の難しいがんの治療目標として考えられるのは、これらのものです。腫瘍縮小や腫瘍マーカー減少というのは、効果の指標にはなりますが、それ自体が最終的な目標ではありません。本当の目標は、「延命」や「症状緩和」であり、その先には、「人間の幸福」があります。

 

 

 

 

 

私が治療目標としてよく示すのは、「がんとうまく長くつきあう」というものです。症状緩和と延命とを、ともにバランスよく追求していくべきだと思います。

 

 

 

 

 

 

「わらにもすがる思いで」というのは、よく聞く言葉ですが、そういう切実な想いが、目的のはっきりしない「治療のための治療」や、「見せかけの希望」としての代替医療に、患者さんを駆り立てます。

 

 

 

 

 

わらが目の前にあれば、しがみつきたくなりますが、それが「見せかけの希望」であれば、ますます溺れてしまう結果になってしまいます。私は、「がんになったからといって、溺れているわけではない」ということを患者さんに知ってもらうのが真の医療だと思っています。

 

 

 

 

 

がんという荒波の中をあわてずに泳いでいくことが重要で、真の希望は、人生全体(大海原全体)を見渡したときに見えてくるはずです。泳ぐ力は誰にでも備わっていますし、医療は、それを手助けするためにあります。

 

 

 

 

世の中には、いろんな考え方をする医者がいます。私のHBMも、1つの考え方にすぎません。ご自分なりの考え方で医療を選択するようにしてください。

 

 

 

 

 

 

 

病気は不幸、治れば勝利、治らないのは敗北。治らない病気になったら、不幸と不安と絶望しかない。―――病気それ自体よりも、そんなイメージで苦しんでいる患者さんがいます。

 

 

 

 

 

 

私の尊敬する医師、パッチ・アダムスは、このように言っています。皆さんも、がんとうまくつきあいながら、真の幸福を目指してください。

 

 

 

 

 

 

長い間おつきあいいただきありがとうございました。