「内田絵子と女性の医療を考える会」講演会(2002年3月9日)
 

がんとうまく長くつきあうために 

〜人間の人間に拠る人間のための医療〜

 1、医療ってだれのもの? 〜HBM〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回、皆さんに考えていただきたいのは、この3点です。簡単な問いに見えますが、答えるのはなかなか難しいと思います。

 

 

 

 

 

 

時代をさかのぼって、古代ギリシャのヒポクラテスの理念、根拠、目的をみてみます。彼は、明確な根拠と明確な目的をもって医療を行うということを神に誓っています。

 

 

 

 

 

 

現在の日本医療に、明確な理念、根拠、目的はあるでしょうか?皆さんの受けておられる医療について、考えてみてください。少し言いすぎかもしれませんが、これが、ヒポクラテスから2400年を経た日本の現状です。

 

 

 

 

 

「これではいけない。明確な根拠に基づいて医療を行おう」ということで登場したのがEBMです。臨床試験によって積み上げられた統計学的事実(エビデンス)を根拠にしようという、世界共通のルールです。

 

 

 

 

 

HBMというのは、私が提唱している概念です。医療の主体は人間であり、人間へのまなざしが医療の本質です(人間の医療)。人間と人間が語り合い、人間性と向き合うところから医療が始まります(人間に拠る医療)。そして、医療の目的は、「人間の幸福」です(人間のための医療)。

 

 

 

 

 

時代の流れでまとめるとこうなります。EBMという客観的なルールづくりで、前近代的な医療からの脱却(近代化)を図っているのが今の日本です。そのさらに先を行き、一人一人の幸福を目指そうというのがHBMです。

 

 

 

 

 

次に、モノサシの大きさについてみてみます。ミクロの世界のできごとを調べるのが「分子生物学」で、医学の発展になくてはならない方法論です。ただ、小さい世界だけを追究していくと、個体としての人間を忘れてしまうことがあります。

 

 

 

 

 

逆に、「社会全体」という大きい単位を基準に考えるというのが、EBMの出発点ですが、社会全体としての利益を追求するときに、個々の人間の幸福が忘れられてしまうことがあります。

 

 

 

 

 

分子生物学のようなミクロの追究、EBMのようなマクロの考え方も重要なのですが、それらのまなざしの先には、「等身大の人間」がなければなりません。それらを統合させて人間の幸福を目指すのがHBMです。

 

 

 

 

 

人間の避けられない四つの苦しみとして、生老病死があります。これをコントロールしようと「人間性」を排除してきたのが20世紀の医学ですが、このアプローチは「人間」を幸福にはしませんでした。これからは、生老病死をあるがままに受け入れた上で、「いのち」を見つめ直し、真の幸福を目指すべきなのだと思います。

 

 

 

 

私が一番いいたいのは、医療が人間の幸福のために存在しているということです。病気があっても、幸福を追求する権利がなくなるわけではありません。病院という空間には、もっともっと「幸せ」があふれていてもいいと思います。

 

 

 

 

 

HBMの実際は、この7項目にまとめられます。ごく当たり前のことを言っているだけですので、皆さんも明日から実践してみてください。