「もっといい日」連載

「医療って誰のもの?」

第9回「セカンドオピニオンで納得のいく医療を」(2001年4月号)

<メールで知る日本医療の悲しい現実>
 毎晩、病院から帰宅してパソコンを起動させると、患者さんやご家族からのメールが届いています。治療方針についての質問、今受けている医療についての疑問、新しい薬を使いたいという希望、思い詰めた悩み、わらにもすがる思いで書かれた切実な願い。パソコン画面に表示される文字の向こう側に、会ったことのない患者さんの顔を想像しながら、私は、一つ一つ返事を書いていきます。
 私がキャンサー・ネット・ジャパン(以下、CNJ)に加わったのは、1年半ほど前のことです。CNJは、インターネット(http://www.nagumo.or.jp/cancer/)、シンポジウム(年4回開催)、出版、セカンドオピニオン外来などを通じて、最先端の公平で正確な情報の提供を行っている非営利団体で、日本の医療を変えようと集まった30名ほどのボランティアが、定例会などで議論を重ねながら、運営を行っています。電子メールなどで寄せられる質問にお答えするのも、CNJの重要な活動の一つで、22名のボランティア医師が分担して回答しています。私は、主に乳癌についての回答を担当していて、これまでに170人ほどの方とやりとりしています。そのそれぞれに、様々な人間模様があり、深い想いがあります。しかし、そんな人間存在の重みとともに伝わってくるのは、日本医療の悲しい現実です。
「質問しても答えてもらえません」
「自分の考えを言ったら不機嫌になりました」
「カルテとコンピュータだけを見て、私の顔は一度も見ませんでした」
これらは、主治医の態度を示す言葉ですが、患者さんと医者の語り合いが決定的に欠如していることがわかります。医療とは、人間関係であり、人間としての語り合いがあって初めて成り立つものですが、日本医療にはそれがないのです。
 主治医に聞けば済むようなことでも、「主治医は忙しいので、代わりに回答お願いします」と、私たちのところに質問が寄せられます。こういう質問に、深夜、睡眠時間を削って返事を書いているとき、不条理を感じないわけではありませんが、日本医療に風穴を開けるためには、質問に答えつつ、患者さんに意識を変えていただくことが必要だと考えています。私は、返信の最後に、「わからないことがあれば、勇気を出して主治医に尋ね、納得できるまで話し合って下さい」というアドバイスを書き添えています。でも、現実は相当に厳しいようで、主治医とのコミュニケーションのないまま、私とのやりとりが肥大しまうことがよくあります。これは、けっして健全な姿ではありません。
患者さんの考え方の多様化と、医師の専門分化が進んだ現在、一人の医師の意見だけですべてを決めるというのは、バランスを欠いていますし、危険なことです。十分に納得できる治療方針を選択するためには、主治医以外の医師の意見を聞くことが推奨され、それを「セカンドオピニオン」(第二の意見)と言います。私たちは、様々な活動でセカンドオピニオンの普及を目指していますが、その行く手には様々な壁が立ちはだかっているというのが現実です。

<セカンドオピニオン普及を妨げる要因>
(1)ファーストオピニオンの欠如
セカンドオピニオンが機能するためには、主治医から明確な「ファーストオピニオン」(第一の意見)の提示がなければなりません。主治医とのコミュニケーションがないまま、他の医者の意見を聞くのであれば、それは、空虚なセカンドオピニオンです。他の医者とのやりとりだけが肥大すれば、主治医への不信感は強まり、不健全な状況の中で不幸が生み出されていきます。
(2)共通言語の欠如
ファーストオピニオンが提示されていたとしても、それに明確な根拠がなかったり、治療目標が曖昧であったりすれば、セカンドオピニオンを聞いても、議論がかみ合いません。私は、セカンドオピニオンを求められたとき、まず、患者さんに、今行われている治療の目標と根拠を尋ねますが、明確に答えられる方はあまりいません。主治医に問い合わせてみても、答えに窮することが多いようです。「腫瘍がそこにあるから」「何となく思いつきで」といった曖昧な目標と根拠で医療が行われているのです。治療目標と根拠を明確に提示した上で、第一の医者と第二の医者が意見を述べ合わなければ、患者さんは、何を基準に二つの意見を比較していいのかわかりません。
(3)「お医者様は神様」という幻想
「お医者様信仰」の根強いこの国では、いい加減な医療が無批判に行われてきました。そういう幻想にあぐらをかいてきた医者は、患者さんが「他の医者のところにセカンドオピニオンを聞きに行きたい」と言い出すと、突然怒りだし、「私を信用できないのか」「私の治療に文句があるなら二度と来るな」なんてことを言ったりします。患者さんは、医者の機嫌を損ねたくはないので、納得できなくても、黙々と治療を受けます。こうしてセカンドオピニオンへの道は閉ざされ、偽りの信頼関係の中、旧態依然のお粗末な医療が続くことになるのです。

<セカンドオピニオンの普及を目指して>
 まず、(1)を解決するために、主治医ときちんと語り合うことが重要です。語り合いを拒絶するような医者であれば、早々に見限り、率直に語り合える医者を見つけるべきでしょう。追いつめられた末に別の医者のところへ移る「駆け込み寺」や、納得できる治療に行き着くまで医者を次々と変えていく「ドクターズショッピング」というのは、必ずしも生産的ではありませんが、真のセカンドオピニオンを確立するまでのステップとして、そういう行動も必要かもしれません。少なくとも、納得できない治療を黙って受けるよりはいいことだと思います。
 (2)の共通言語として重要なのは、臨床試験によって確立したエビデンス(科学的根拠)と治療目標です。意味のあるセカンドオピニオンを得るためには、患者さん、第一、第二の医者の間でそれらを共有し、対等の立場で語り合う必要があります。主治医との話し合いでは、治療の根拠と目標を明確に示してもらうように心がけて下さい。
 (3)の幻想は何としても打ち破らなければいけません。医学には限界があり、一人の医者の知識にはもっと限りがあります。その限界を知った上で、最善の方法を探していくべきなのです。求められるのは、医者への信仰ではなく、人間としての語り合いです。真の信頼関係を保つためにも、医療全体のレベルを上げるためにも、患者さんはセカンドオピニオンを求め、医者もそれを積極的に勧めるべきです。そのことで患者さんが不利益を被ることがないようなシステム作りも必要でしょう。
 CNJ代表の南雲吉則氏は、真のセカンドオピニオンのあり方を、野球の守備に例えています。患者さんはピッチャーで、主治医はファーストです。ファーストがどんなにすぐれた選手だったとしても、ピッチャーとファーストだけでは野球の守備はできません。セカンド、サードなどの専門家が揃って初めて、盤石の守備が成り立つのです。このセカンド(サード)が、セカンド(サード)オピニオンをもたらす医者です。ピッチャーは、彼らの意見を聞きつつ、自分の決めた球を、がんというバッターに投げ込みます。バッターが打ち返せば、内野手は、適切な連携で打球を処理します。ゴロを取ったサードからセカンド、ファーストへとボールがわたり、ダブルプレー。そんな医者同士の連携が患者さんを支えます。
 最近、米国在住の日本人からセカンドオピニオンを求められたのですが、患者さん、現地の主治医、私の3人が、様々なエビデンスを持ち出して議論を交わし、最初に主治医から示されたのとは異なる治療を行うことになりました。これぞ真のセカンドオピニオンだという気がしました。英語の苦手な私ですが、現地の主治医とのやりとりには、日本の医者とのやりとりで感じる程の言語の壁は感じませんでした。世界の標準的なエビデンスが、共通言語として普通に通じるからです。
 日本で真のセカンドオピニオンを普及させるには、まだまだ長い道のりがありそうですが、患者さんの手に医療を取り戻すため、皆様と力を合わせて努力していきたいと思っています。