「もっといい日」連載

「医療って誰のもの?」

第8回「遺伝・遺伝子について正しい理解を」(2001年3月号)

<がんと遺伝・遺伝子をめぐる誤解>
「私ががんになったということは、私の子供にもがんが遺伝しているということですよね」
「私はがん家系ではないので、がんになるなんて思ってもいませんでした」
「遺伝子診断してもらえますか?」
「遺伝子治療はどこに行けば受けられますか?」
 最近、患者さんからよく聞く言葉です。
 「がん」について、一般に広まっているイメージと実際とがかけ離れているということは、前回書きましたが、「遺伝」「遺伝子」についても、同様のことが言えます。今回は、イメージが一人歩きして、誤解も多い「がんと遺伝」「がんと遺伝子」について考えてみたいと思います。
 余計なことで悩むことのないように、また、巷にあふれる誤った情報に安易に飛びついたりしないように、できるだけ正しい知識を持っていただきたいと思います。がんと闘うにしても、共存するにしても、相手の本当の姿を知るのは大切なことです。
 がんというのは、人間なら誰もが持っている正常な遺伝子(「がん原遺伝子」)に傷がついて、「がん遺伝子」となり、それが引き金となって、細胞が無秩序に増殖してしまったものです。大腸癌や乳癌・卵巣癌のごく一部において、がんを誘発しやすい遺伝子異常が親から引き継がれることがわかっていますが、そういう「家族性腫瘍」は、特殊なケースであり、多くの場合、「がん遺伝子」自体は、親から遺伝するものではありません。また、「がん遺伝子」の元になる「がん原遺伝子」は、人類共通の正常な遺伝子であり、特定の家系だけで遺伝されるものではありません。難しい説明になってしまいましたが、要するに、がんとは、「遺伝子」の病気であるが、必ずしも、親から「遺伝」する病気ではない、ということです。
 「がん家系」というのは、多くの場合適切な表現ではありません。がんとはありふれた病気ですから、血縁者にがんを患った方が複数いるというのは、ごく普通のことです。それをもって「がん家系」ということはできません。若くして大腸癌や乳癌・卵巣癌にかかった親類が多数いる場合には、「家族性腫瘍」が疑われますが、それは稀なケースです。
 もちろん、遺伝の要素がまったくないというわけではありません。がんの発生には様々な要素が関わっており、直接の引き金ではないにしても、親から引き継いだ体質が影響している可能性は十分に考えられます。また、遺伝ではなくても、家族は、同じ生活環境、文化の中にいる時間が長いので、そういった影響も考えられます。
 基本的に、血縁者にがんの方がいても、いなくても、一生のうちにがんになる確率は、それほど変わらない(約50%)と考えるのが妥当だと思います。がん原遺伝子は、すべての人間が等しく持っていて、年齢を重ねれば、遺伝子が傷つく頻度も増すわけですので、がんというのは、年を取れば誰にでも起こりうる老化現象のようなものと言えます。

<遺伝子でがんはコントロールできるのか?>
 がんが遺伝子の病気であるならば、「遺伝子診断」「遺伝子治療」へと期待が広がるのは自然のなりゆきでしょう。最近は、ヒトゲノム解読のニュースが大きく取り上げられ(ヒトゲノムとは、人間が持っているDNA・遺伝子の情報の総体のことで、昨年、ヒトゲノムのDNA配列がほとんどすべて読み取られたという発表がなされました)、それをめぐる夢物語もたくさん紹介されています。
 ただ、ここでも、イメージが先行している感は否めません。今後、遺伝子研究の臨床応用が進んでいくのは間違いありませんが、ヒトゲノムが解読できれば、遺伝子にまつわる人類の悩みが一気に解決できるというのは幻想です。
 「ヒトゲノム全体が解析されようとしている現在、二年後、三年後に遺伝子治療が、多臓器転移を含めて一般的な治療法として確立される可能性は低くはないと思う」(柳美里「命」)
 という言葉に表れているように、人々の期待は高まるばかりですが、ヒトゲノム解読と遺伝子治療確立の間には乗り越えようのない壁があるというのが現実です。
 がんの発生には、遺伝、環境の様々な要因が複雑に絡み合っており、単一の原因を追究して、その除去を目指すという発想では、根本的な解決は望めません。遺伝子異常が直接の原因となっている「家族性腫瘍」については、遺伝子診断がすでに行われていますが、一般のがんでは、遺伝子診断から得られる情報はごくわずかです。また、遺伝子治療が、一度発生したがんに与えられる影響もごくわずかです。
 遺伝子という一側面だけからアプローチしても、がんという壮大な相手には太刀打ちできないのであり、よりバランスの取れたつきあい方が求められます。
遺伝子というのは、目に見えない、得体の知れないものであるからこそ、人々はイメージに過剰に反応する傾向があります。同じ遺伝子技術であっても、遺伝子組み換え作物には反対運動が巻き起こり、遺伝子治療には期待の目が注がれています。生物のクローン技術については、その倫理的な問題をきちんと議論するべき時なのに、「ヒトラーのクローンができたらどうする?」という的外れなイメージが語られ、本当の問題は曖昧にされたままです。人間の性格や行動は、遺伝子ですべて規定されているわけではなく、環境要因に大きく左右されます。遺伝子がヒトラーを独裁者にしたわけではなく、ヒトラーの遺伝子だけを恐怖するというのはナンセンスです。同じように、がんも、一つの遺伝子異常だけで説明できるものではなく、遺伝子診断や遺伝子治療でがんを完全にコントロールできると考えるのは早計です。
 いつもこのコラムでは、夢のないことばかり書いている、とお叱りを受けそうですが、何度も言うとおり、私の真意はそうではありません。幻想にすがって絶望を味わうよりも、きちんと相手を見つめて、よりよきつきあい方を目指すことにこそ夢と希望があると私は考えています。

<一番大切なのは、人間へのまなざし>
 遺伝子、DNA、タンパク質、細胞といった、小さい単位(ミクロ)の研究は、今後も積極的に進められていくべきですが、がんという複雑な病気の治療法を確立するためには、多くのがん患者さんに臨床試験として治療を行い、効果を確かめる必要があります。これは、人間を集団という大きい単位(マクロ)で見て、最も多くの人が恩恵を受けられるような治療法を探す方法で、今、医療の原則となっているEBM(根拠に基づく医療)の考え方です。
人間の構成要素を細かくみるミクロの視点と、たくさんの人間を集団としてみるマクロの視点。この二つの視点が、がん医療を動かす原動力であり、どちらも欠かすことはできません。でも、ミクロを追究するあまり、個体としての人間の姿を見失ってしまったり、マクロを追究するあまり、一人一人の人間の顔が見えなくなってしまったり、そういうことがあってはいけません。ミクロとマクロの中間には、かけがえのない人間という存在があり、どんな立場で医療を行おうとも、「人間」へのまなざしを忘れることは許されません。ミクロとマクロの視点をバランスよく取り入れながら、人間の幸福を目指すのが、これからの医療のあり方で、私は、それを、HBM(人間の人間に拠る人間のための医療)と呼んでいます。

 今回は、誤解の多い「がんと遺伝・遺伝子」というテーマを取り上げました。よくわからないからといってイメージに流されてしまったり、あるいは、遺伝子だけに目をとらわれて「人間を幸福」を見失ったりしないように、正しい知識とバランスの取れた視点を持つことが大切です。