「もっといい日」連載

「医療って誰のもの?」

第6回「一つの世紀が幕を閉じ、新しい世紀が明けました」 (2001年1月号)

 一つの世紀が幕を閉じ、新しい世紀が明けました。
 20世紀は科学技術の世紀。その急速な発展は医療の姿も大きく変えました。人体のしくみとはたらきは徹底的に科学され、多くのことが遺伝子レベルで語られるようになりました。医療技術も高度化し、機械やコンピュータが人間の生命をコントロールするようになりました。この流れは21世紀にも加速して引き継がれていくでしょう。
 科学技術が医療を進歩させたのは間違いありませんが、その陰で忘れられてきたものもたくさんあります。改めて、21世紀の夜明けに、この言葉を掲げたいと思います。
 「人間の人間による人間のための医療を!」
 21世紀は、「科学技術の世紀」を超えて、「人間の世紀」となるべきだと思います。人間から離れようとしている医療を人間の手に取り戻しましょう。

 がん医療も20世紀に大きく変貌を遂げました。がんのメカニズムがかなり解明され、検査技術が向上し、多種多様な治療法が開発されています。しかし、がんで亡くなる方が減っているかというと、そうではありません。現在、年間約30万人ががんによって亡くなっていて、総人口に対する割合は、1950年と比べて3倍に増えているのです。今生きている日本人の2人に1人はがんになり、3人に1人はがんで亡くなると言われており、この現実は、科学技術の力ではどうしようもありません。
 では、人類はがんの前に敗北してしまったのでしょうか。「がん克服」を目指す政府の考え方からすると、敗北なのかもしれませんが、私はそうは考えません。そもそも、一つの人生を生き抜いて旅立った方を「敗者」と呼ぶことはできません。がんに勝つか負けるか、ということよりも、幸せを感じられるかどうかの方が重要ではないでしょうか。
 がんとは、老化現象であり、年をとれば誰もががんになりえます。平均寿命が延びた結果として、がんになる方が増えるのは当然のことです。人間が人間である限り、がんを根絶させることはできません。ただひたすら「がん克服」を目指して、「敗者」を生産していくのではなく、より大きな目標として、「人間の幸福」を掲げ、そのための方法を模索していくのが、21世紀のがん医療のあるべき姿だと思います。
 でも、「人間の幸福」なんて、簡単に決められるものではありません。がんを抱えた方やそのご家族にとっての「幸福」というのも様々であると思います。大切なことは、自分なりの幸福をきちんと見据えて、がんとのつきあい方、医療への取り組み方を考えることです。
 がんと闘うことに生きがいを感じる方もいるでしょうし、がんのことはあまり気にせずに日々の生活を楽しみたいという方もいるでしょう。どんなにつらくても手術や抗がん剤治療を受けたいという方、どんなにお金がかかっても代替医療に期待するという方、家族がどんなに治療をすすめても一切の治療を受けないという方・・・、患者さんの考え方は様々です。
医者としては、考え得るすべての治療方針について、公平なデータに基づいて説明した上で、患者さんの考えを聞き、じっくりと話し合って、もっとも適切な治療方針を決めていくことになります。

 昨年話題となった柳美里の「命」には、東由多加の壮絶な闘病の様子が描かれています。遠隔転移のある食道癌に対し、放射線治療と抗がん剤治療が行われたあと、主治医からは、「抗癌剤治療の効果が認められなければ、もはや打つ手はない」と告げられます。治療を打ち切られることを恐れた東は、米国にわたり、「患者が求める限り、最後まであらゆる手を尽くす」と言う医師のもと、別の抗がん剤治療を受けます。帰国したのちも闘病は続き、その様子は、柳美里の「命」のことばで、壮絶に、時には美しく紡ぎ出されています。テレビ番組で紹介された東の姿に、真の「命」を見いだし、私も深く感動しました。闘うことが、東と柳美里にとっての「幸福」のあり方だったのだと思います。
 しかし、この本の影響力を考えたとき、どうしても指摘しておかなければいけないことがあります。東の「幸福」が他の方にあてはまるわけではないということ、そして、東と医者との間の語り合いが不十分であったということです。
東は、医学の力を信じ、最後まで、副作用に耐えながらも抗がん剤治療にすがり続けました。
 「食欲はないし、決心しないと起きあがろうって気にもなれない。でも、いまのところ抗癌剤をやりつづけるしか手がないわけだから、生きてるうちはこの状態がつづくってことだよ」
 抗がん剤の副作用もつらいが、それをやめてしまうことはもっとつらい・・・。私は電子メールやFAXで、患者さんやご家族からの質問にお答えするボランティアをしていますが、このような感情をお持ちの方は多いようです。
私は、次のようなことを書き送ります。
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 今の段階で、がんを完全に体の外に追いやることはできないわけですが、それ自体は絶望を意味するものではありません。がんというのは、自分の体にもともとある細胞が変異してできたものであり、病気というよりは老化現象に近いものです。がんの根絶を目指して闘いを挑むと、限界に到達したときの絶望感が強く、つらい治療を過剰に継続してしまうことになります。むしろ、がんが体の中にあるという事実は受け入れ、「がんとうまく長くつきあう」ということを考えて治療に取り組む方が、体も楽ですし、この中で希望を見いだすこともできると思います。「うまくつきあう」とは、がんや治療による症状を最低限に抑え、日常生活を普通に送ることであり、「長くつきあう」とは、がんと共存しながら、できるだけ長い人生を全うすることです。つらい治療は行わず、がんとうまくつきあうことを第一に考えて医療を行っても、つらい治療を行う場合と比べて、生存期間に差がないということが、多くのがんで示されています。「うまくつきあう」ことは、「長くつきあう」ことに矛盾しないのです。
 がんの根絶を目指す治療は限られていますが、がんとうまくつきあうための治療であれば、無数の方法が存在します。さんざんつらい治療を行ったあげくに、「もはや打つ手がない」というのは、あまりにも無責任です。私は、「治らない」とわかったあとにこそ、医療には重要な役割があるのだと考えています。
 抗がん剤治療も、症状を和らげるのに有効なことがありますので、適切なときには適切な使い方をするべきです。でも、症状がもともとない場合や、症状の改善がみられない場合には、つらい副作用を我慢してまで抗がん剤治療を続けるのは適切ではありません。抗がん剤治療をやめたからといって、絶望が訪れるわけではなく、そこには医療の可能性がたくさんあるのです。
 これからの人生は、ご本人にとっても、ご家族にとっても、かけがえのない貴重なものとなります。この時間を、どのように過ごしたいのか、そのために大切なことは何なのか、きちんと考えて、ご家族や主治医ともじっくり話し合い、納得できる治療方針を選択してほしいと思います。
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 東の主治医が、医療として抗がん剤しか提示できなかったのは不完全であったと思います。東と柳美里の語る真実の「ことば」の前で、職業医者としての浅薄な「ことば」でしか応対できなかったということは、大いに反省すべきでしょう。
これから始まる「人間の世紀」では、どのような場面でも、人間としての語り合いが不可欠なのです。