「もっといい日」連載

「医療って誰のもの?」

第5回「人間の人間による人間のための医療を!」(2000年12月号)

 前回は、EBM(「エビデンス」に基づく医療)について説明しました。「エビデンス」というのは、患者さんと医者とが共有する明確な根拠であり、両者が対等に語り合うための共通言語です。「エビデンス」に基づいて治療方針を検討するのが、これからの医療の原則であり、それをEBMと言います。
 しかし、エビデンスにも限界があります。エビデンスとは絶対的な真理ではなく、統計学上の相対的な事実にすぎません。また、個別の患者さんにぴったりと当てはまるエビデンスというのは、そう多くはありません。エビデンスに基づく標準的な治療法だからといって、それを機械的に患者さんに押しつけるわけにはいかないのです。
 EBMとは、「最大多数の最大幸福」を目指す医療です。患者さん全体の平均値がもっとも高くなる治療が標準治療であり、多くの患者さんにとっては、それを選択することが幸福につながると考えられます。しかし、一人一人の患者さんの幸福が一律に決められるはずはありません。「最大多数の最大幸福」という視点とともに、「一人一人の人間の、その人にとっての幸福」に対する視点が必要なのです。それを目指す医療を、私は、HBM(Human-Based Medicine「人間性に基づく医療」)と呼んでいます。
 人間とは、どろどろした存在であり、人間性には、科学の及ばない様々な要素が含まれます。性格、好き嫌い、信仰、生き様、人間関係、人生観、死生観・・・。近代医学は、これらの非科学的な要素を切り捨てることで発展してきたわけですが、その行き着く先に「人間の幸福」はあるのでしょうか。医療とは、人間存在に深く関わるものであり、人間性を無視しては成り立ちません。21世紀の医療では、「エビデンス」とともに、「人間性」が、重要な根拠となるべきなのです。
人間性を医療に反映させるための第一歩は、語り合いです。人間としての患者さんと、人間としての医者が向き合い、治療方針についての考え方を率直に語り合うのが医療の原点です。「エビデンス」という共通言語さえあれば、語り合うのに不都合はありません。その上で、人生観や死生観までも踏み込んで、納得できる治療方針を選択していきます。
 患者-医者関係にとどまらず、患者さんをめぐる様々な人間関係も、医療に大きな影響を与えます。複雑な人間関係の中で、一つの結論を出すのは困難ですが、人間の存在意義に関わる問題に対して、人間として真摯に向き合う姿勢こそが重要なのだと思います。患者さんにとって、ご家族にとって、何が大切なことなのか、日々考え続け、語り合う必要があるのです。

 ここで、リンカーンの有名な演説になぞらえて、「医療における人間解放」を宣言したいと思います。
「人間の人間による人間のための医療を!」
 すべての医療の主体は「人間」であり、医療の根拠となるのは「人間性」であり、医療の目標は、「人間の幸福」です。20世紀にはびこった「医者の、思いつきによる、自己満足のための医療」から早く脱却し、21世紀においては、真の人間医療を築かなければいけません。
 これが、「医療って誰のもの?」という問いかけに対する、私なりの答えです。皆様はいかがお考えでしょうか?
 次回以降は、より具体的な問題を取り上げて、皆様とともに考えていきたいと思います。