「もっといい日」連載

「医療って誰のもの?」

第3回「明確な根拠に基づくガラス張りの医療を」(2000年10月号)
 裁判官は、被告の罪について判断を下し、受けるべき罰を言い渡します。このときに根拠になるのは、「法と良心」です。日本国憲法にそう書いてあります。実際にこれがどれくらい守られているかは別として、根拠となるものが人々に共有されているということが重要です。「法と良心」に反する判決が出れば、誰もがその誤りを指摘し、批判することができるのです。
 では、医療は何に基づいて行われているのでしょうか。医者は、患者さんの病気について、診断を下し、受けるべき治療を処方します。このときに根拠となるのは何でしょう。
「今の日本の医療に明確な根拠はない」
というのがその答えです。根拠があったとしても、「権威ある教授の意見」「時代遅れの教科書」「医者の個人的な経験」だったり、「金儲け」「製薬会社との癒着」だったり、いずれも、医者側の論理に根ざした曖昧なものであり、患者さんの視点からは不透明なものばかりです。これらの曖昧なものが複雑に絡まり合って、場当たり的に医療の内容が決定されているのです。
 裁判における「法と良心」のように、人々に共有される明確な根拠がない以上、おかしな医療が行われたとしても、人々はその誤りを指摘したり批判したりすることができません。小さな医療ミスは、ミスとは認識されずに埋もれていき、生命が失われるような大きな医療ミスとなって初めて明るみに出るのです。この国の医療過誤訴訟の大部分は、患者さん側が、医療側の過失を証明することができずに敗訴しています。「自分がルールブックだ」と言い張る医者に対抗できる「真のルールブック」(=「明確な根拠」)を、患者さんは持っていないのです。
 根拠のない医療を支えてきたのは、「お医者様は神様」「医療は絶対」という幻想です。「根拠が何だか知らないが、お医者様のすることに間違いはないのだから、お任せすればいい」というのが多くの患者さんの態度でした。医者は、そういう幻想に支えられ、自分がルールブックになった気分で、好きな治療をすることができたのです。
 でも、こんな医療に未来はありません。これからの時代、医療の限界についてしっかりと認識した上で、患者さんと医者とが共有する「明確な根拠」に基づいて、ガラス張りの医療が行われる必要があります。
「こんな医療ミスが起こるなんて信じられない」という声をよく聞きますが、実は、「医療にミスはあり得ない」という幻想が大きな医療ミスを招いているのです。医者に医療を任せるのではなく、「明確な根拠」と照らして、おかしな医療を見抜くことが、患者さんには求められます。そうやって小さな医療ミスを明らかにしていくことが、大きな医療ミスを防ぐのです。
 では、「明確な根拠」というのはどこにあるのでしょうか。私が考える21世紀医療の根拠は、「エビデンス(科学的根拠)」と「人間性」です。実は、この二つ、すでに皆さんの手の届くところにあります。この二つの根拠をしっかりと手にとって、医療現場に向かえば、医療はあなたのものとなります。「エビデンスに基づく医療(EBM)」と、「人間性に基づく医療(HBM)」がこれからの医療を方向付けるキーワードです。次回は、この二つの医療のあり方について、詳しく説明したいと思います。