HBM宣言
(HBM: Human-Based Medicine、人間の人間に拠る人間のための医療)
〜EBMの歴史的意義とHBM時代の夜明け〜


2.医療は何を根拠にして行われてきたか

  これまでに医療の根拠となってきたものとしては、「神」「権威」「慣習」「癒着」「カネ」「教科書」「知識」「経験」「動物実験」「試験管実験」「分子生物学」といったものが挙げられる。これらが複雑にからみあったあげく、医療は場当たり的に行われてきた。
 古代医学は、他の科学と同様、「神の意志」を代弁する形で誕生したが、この頃は、神が全ての根拠だった時代であり、患者も医者も「神」を信じて疑わず、両者が同じものを信じて医療に取り組めたという点においては、理想的だったのかもしれない。
 その後の医療では、患者が信じるものと、医者が根拠とするものとが乖離していく。
 今の日本では、患者さんは、医者が何を根拠に医療を行っているのか想像もできない状態となっていて、「お医者様は絶対」と盲信するか、神頼みをするか、聞こえのいいマスコミの言葉を信じるか、民間療法に走るか、といった様々な反応をしている。医療の実態についての正確な情報は乏しく、医療は何でも解決しうるという過信・幻想だけが一人歩きしている。
 医者が根拠としているものは、実はとてもお粗末なものである。たとえば、「権威」。教授や部長を頂点とするピラミッドがたくさんできあがり、その組織の中では「権威」には逆らうことはできない。学会でも重鎮たちが発言力を持ち、医療のあり方を左右している。権威の構造の中で、長年に渡って築き上げられてきた「慣習」も無視できず、また、利権が絡めば様々な「癒着」も生まれる。多くの医者は、「カネ」をできるだけ稼ぐことを考えて医療を行っているのが現実である。
 これら、「権威」「慣習」「癒着」「カネ」というのは、患者さんの利益とは関係のない要素でありながら、医療を牛耳っているのである。
それに比べれば、「教科書」「知識」「経験」「動物実験」「試験管実験」あたりがきちんと根拠となっていれば、まだいいのかもしれないが、これらを根拠にすることにも様々な問題がある。
「教科書」にもピンからキリまであるが、日本のものは、最先端の情報を網羅するというよりは、「権威」の伝承としての意味合いが強い。欧米のものは、最先端の臨床試験の結果を踏まえてこまめに刷新がなされているが、それでも、日々新しい臨床試験の結果が発表され、医学の常識が書き換えられていく時代にあっては、印刷している時点ですでに時代遅れとなってしまう。埃をかぶった分厚い教科書を紐解いて、医療の根拠とすることは、危険なことなのである。
 医者は医学の専門家であり、たくさんの「知識」と「経験」を備えてはいるが、それを医療の根拠とするのにも注意が必要である。世界中で次から次へと発表される最先端の事実をすべて知るというのは、一人の人間には不可能なことであり、また、最先端の知識であっても、さらに時間が経てば、新しい事実によって覆っていく可能性があるわけで、医学において「絶対的な真理」というのはありえない。そもそも、人間という摩訶不思議な存在を扱う医学で、「たった一つの答え」を求めようとすること自体に無理がある。
 不完全な知識を補うのが「経験」であるが、一人の医者が一生をかけて経験することは、医学全体の中では些細な一部分にすぎない。経験とは、どうしても偏りがあるもので、往々にして公平な判断の妨げとなる。かのヒポクラテスも、「経験は人を欺く」と言っている。
「動物実験」「試験管実験」「分子生物学」は、日本人研究者の得意とする基礎研究の手段であり、これを根拠に多くの治療が行われている。しかし、その治療が本当に患者さんの利益になっているかということは、ほとんどの場合、証明されていない。動物や試験管の中で効果が示された治療でも、人間にとっては効果がない場合があるということが、臨床試験で次から次へと明らかになっており、「動物実験」「試験管実験」のみを医療の根拠とすることもまた、危険と言わざるを得ない。いわゆる「民間療法」「代替医療」の宣伝で、「ほぼ100%の効果」という実験結果が紹介されていることがあるが、これなどは、動物や試験管の実験では、条件さえ整えれば、好きなように数字を操作できることを示していると言えよう。
 ヒトゲノム解読のニュースが大々的に取り上げられ、分子生物学隆盛のイメージが広まっているが、臨床との距離はいまだ遠く、臨床試験で否定される治療も数多い。ヒトゲノムが解読されれば遺伝子治療が確立するなどというのは、今は、幻想と言わざるを得ない。