HBM宣言
(HBM: Human-Based Medicine、人間の人間に拠る人間のための医療)
〜EBMの歴史的意義とHBM時代の夜明け〜

1.HBM宣言

  医療は何のために行われるのか?
 医療は何に基づいて行われているのか?
 医療はいったいだれのものなのか?

 

 これらの質問に答えられる人は少ないだろう。日本の医療は、これらに対する明快な答えを用意していないからである。「治療目標」「根拠」「理念」を曖昧にしたまま、日本医療は突き進んできた。その結果、たくさんの「不幸」「絶望」「不安」が生産されてきたのである。
 最近になって、人々も医療の有害性に気づき始め、「医療不信」が渦巻くようになった。しかし、そんな日本医療の暴走を無反省に許してきた根本的な問題は語られていない。
本稿では、医療の根本的な問題点を指摘し、これからの医療のあり方を提示するとともに、よりよき医療を実現するための行動指針を提案したい。

「ヒポクラテスの誓い」に、こんな一節がある。
「私は、自分の能力と判断に従い、患者の利益となると考える養生法をとる」1)。
 ヒポクラテスは、この短文で「治療目標」「根拠」「理念」を掲げている。「自分の能力と判断」を根拠にするというのは、本稿の主旨とは異なるが、それを時代遅れと批判するのは無意味である。2400年も前にきちんと根拠を明確にしているということ、そして、患者の利益を医療の目標として明確に掲げているということは、驚嘆に値する。医学や医療技術は進歩したのかもしれないが、今、日本で行われている医療は、ヒポクラテス時代よりもお粗末である。
 治療目標も根拠も明確でないまま、「そこに病気があるから」という理由だけで、ただ漫然と場当たり的に行われる日本の医療。こういう医療は、医者に自己満足をもたらすことはあっても、人間に幸福をもたらすことはない。
 こんな医療の現実を変えるために、今求められるのは、21世紀版「ヒポクラテスの誓い」である。「治療目標」「根拠」「理念」を明確にし、人間の幸福を目指すような医療を確立する必要がある。
 私が、21世紀版「ヒポクラテスの誓い」のキーワードとして掲げるのは、Human-Based Medicine (HBM)である。後述するEvidence-Based Medicine (EBM)を真似た造語である。日本語訳としては、「人間の人間に拠る人間のための医療」と説明している(リンカーンのゲティスバーグ演説になぞらえて、「医療における人間解放宣言」を気取っているわけであるが、「人間の」「人間に拠る」という言葉については、リンカーン演説とは異なる意味で用いていることをご了解いただきたい)。

「人間の医療」とは、医療の主体が人間だということである。医療というのは、人間の体をめぐる人間の営みでありながら、現実の医療では、「人間」は医療の中心にいるどころか、蚊帳の外に追いやられてしまっている。医療は「人間」に回帰しなければならない。私は、医療の理念として、「人間の医療」を掲げたい。

「人間に拠る医療」とは、医療が人間に基づいて行われるということである。人間に対する洞察とまなざしを根拠に、医療のあり方を検討する必要がある。EBMにおいても、人間に対する視座が欠かせないということは後述する。日本の医療は、人間性を無視し、曖昧な根拠に基づいて行われているが、私は、医療の根拠として、「人間に拠る医療」を掲げたい。

「人間のための医療」とは、医療の目指すものが人間だということである。人間へのまなざしを欠いた医療が、いったい何を目指してきたのか、私にはよくわからないが、その先に「人間の幸福」がなかったということははっきりしている。でも、なぜか医者は満足げに医療を行い、金と名誉を手にしてきた。医者の自己満足の裏で、たくさんの不幸が生み出されていたとすれば、なんと悲しいことか。私は、医療の目標として、「人間のための医療」を掲げたい。

 医療の理念、根拠、目標は「人間」にある、というのが、私の主張である。医療のすべての場面において、その根底には「人間」がなければいけない。HBMというのは、そういう素朴な発想である。
 これまでの医療は「医者の、思いつきによる、自己満足のための医療」であった。こんな医療に未来はない。21世紀を迎えた今、人々に「幸福」「安心」「希望」をもたらす真の医療の実現を目指して、ここに、「人間の人間に拠る人間のための医療」の時代の幕明けを宣言する。