<2-8-11> 第47回日米学生会議科学技術フォーラム(1995年7月)
  人体展
  「人体展」は、「科学技術フォーラム」の一環として、第47回日米学生会議実行委員会の主催により行われた。多くの方々のご協力により、世界的にみても貴重な展示をすることができ、主催者として感慨深いものであった。なお、この展示の様子は、アロアロインターナショナル制作のCD-ROM "Plastination"によって、95年秋に国立科学博物館で開催された「人体の世界」でも紹介された。以下、当日配布したパンフレットの内容である。

************************
この「人体」展は、大きく分けて「人体プラスティネーション」および「コンピュータ上の人体」の二つの展示からなっています。「最も身近な自然」とも言うべき「生の人体」と、機械文明の象徴とも言えるコンピュータで表現された「人体」から、皆様も多くのことをお感じになることと思います。

<人体プラスティネーション>
プラスティネーション(Plastination)は、ドイツ・ハイデルベルグ大学医学部で1985年に開発された、人体をプラスティック化することで半永久的に保存できるようにする技術です。今回は、ハイデルベルグ大学から取り寄せた全身プラスティネーション1体(写真1/体の真ん中で半分に切断してあります)、全身大のシートプラスティネーション(写真2/透明なシート状になっています)、脳・心臓など各臓器のプラスティネーションなど大小あわせて数十点におよぶ展示を行います。世界的にも大変貴重な標本であり、解剖学上においても、あるいは一般の人々への「人体教育」においても重要な意味を持っています。固定処理がなされてはいるものの、全身の標本は生身の人間の姿をとどめているわけで、身近でありながら普段知ることのできない「人体」の現実がそこにあります。これらの標本を見ることで、様々な感情が起こると思いますが、すべては自然に存在する現実です。できれば、わき起こった感情やこの企画に対する疑問などを近くにいる人に語りかけてみて下さい。あるいは、用意してあるアンケート用紙に思ったままに書いて下さい。これらの展示は単なる興味本位のものではなく、ご覧になった皆様に、人間の生と死にについて、社会に存在するタブーについて、科学について、医学・医療について、そして、「人間とは何か」について、深く考え、議論をしていただくために行っているものです。この類の展示はこれまで日本で行われたことはなく、様々な問題をはらんではいますが、これをきっかけに様々な議論が巻き起こすことができれば、展示を行った意義は十分にあったと言えると思います。どうぞ、じっくり感じ、考え、議論して下さい。

<コンピュータ上の人体>
現在、「コンピュータ上で人体を表現し、自由に操作できるようになれば、医療技術、医学研究、医学研究に画期的な進歩をもたらすことになる」という考えのもと、人体のコンピュータデータ化が進んでいます(The Visible Human Project)。米国国立医学図書館(NML)では、男性献体者の遺体を水平に1mmの厚さで1878枚にスライスし、その写真データをコンピュータに取り込んでインターネットで世界中に公開しました。このデータから作られた男性はADAMと名付けられていますが、彼が「コンピュータの中に入り込んだ最初の人間」ということになります。プロジェクトがさらに進み、操作が容易になって広く普及すれば、医学・医療の世界に大きな影響を与えるとともに、一般の人にも、「人体」に対する認識を新たにする機会を与えることができると思われます。
人体の3次元モデルをコンピュータ上で自由に操作できるシステム"MDSCOPE"を開発した(株)メタ・コーポレーション・ジャパンは、社内利用とデモンストレーションを目的にNLMのデータの使用ライセンスを得て、実際の人体データに基づく3次元画像の表示とその任意断面の表示など自由な操作を実現させました。今回、メタ・コーポレーションのご協力により、そのシステムの展示が実現したわけです。
皆様も、マルチメディアの発達とともに生まれたコンピュータ上の人体から、プラスティネーション標本とは違った意味での「人体」を感じとってもらいたいと思います。「コンピュータ」という機械文明の申し子と、「人体」という自然に存在するものとが融合した姿というのは科学と人間の関係を象徴的に表しているような気もします。

<「人体」展の意義>
・展示物の貴重性

プラスティネーションの技術は、欧米を中心に徐々に広まってきてはいますが、今回展示しているような全身プラスティネーション標本を作成するにはかなり大がかりな装置が必要で、これだけきれいに仕上がっている標本というのは世界的に見ても大変貴重なものと言えます。
また、コンピュータで表現されるADAMという男性も、世界中に公開されているとはいえ、きちんとした形でお目にかかれるのは非常に限られており、世界で唯一コンピュータの中に棲んでいる人間との対面は貴重な経験になるはずです。

・科学の対象としての「人間」
人体プラスティネーションにしても、コンピュータ上の人体にしても、「人間」が科学の対象となっているという点で共通しています。他ならぬ人間を対象とする科学というのは、科学と人間の関係について多くのことを考えさせます。
近代科学においては、科学の主な対象は人間の外側にある自然であり、人体を扱うにしても、人の心や人間性を排除した「機械としての人体」として見ていました。これによって近代科学は多くの成果を残したわけですが、同時に、人間性を排除することは様々なひずみを引き起こしてきました。
今、目の前に科学の対象として存在している「人間」は、かたや等身大の標本であり、かたやコンピュータに入り込んだ人間の画像データです。これを自分と重ね合わせてみるか、機械、あるいはモノとして見るか、それは見る人によって違ってくるでしょう。人間性を感じる人もいれば、そうでない人もいるはずです。しかし、どう感じるにせよ、これらの展示物を通じて「科学」と「人間」の関係を考えるというのは重要だと思います。「科学の主体としての人間」と「科学の対象としての人間」の両方の立場からこれらの展示をご覧いただき、科学において「人間性」はどれだけの意味を持つべきなのか、じっくりと考えていただきたいと思います。 ・人体教育
医療現場では「インフォームドコンセント」の重要性が叫ばれていますが、はたして患者はどこまで自分の体について知りうるのでしょうか。現在、日本で本格的な解剖実習を行うのは医学部だけであり、一般の人が人体に触れる機会というのはほとんどありません。つまり、医師と患者の間には、人体の知識の壁が存在するのです。このような状況で、患者が完全にinformされるというのは難しいことではないでしょうか。私たちは、すべての人に人体に関する知識が与えられてしかるべきだと考えています。自分の体について知らないというのはあまりに不自然なことなのです。

・タブーの意味を考える
「人体」は、身近である一方で、多くのタブーを含んでいます。日本ではこれまで人体標本が一般に公開されたことはなく、一般の人が人体について知る機会は限られていました。身近であるべき「人体」が社会の目から隠されているのです。
そもそも、人体は現実そのものであり、標本となっている遺体も、この世の誰もが近い将来になる姿です。この現実をなぜ隠さなければいけないのでしょうか。長い歴史とそこで培われてきた文化が社会にタブーを産み出してきたことは私たちも理解していますが、そういうタブーにはいったいどれだけの意味があるのでしょうか。
これは実にナイーブな問題ですが、きちんと正面から考えるべき問題だと私たちは思っています。

・人間の生と死について考える
展示されている人体は、亡くなった方の献体であり、それを見ている人間は、当然のことながら生きています。つまり、見る方と見られる方の間には生と死をわける境界があるわけです。この境界をどのように認識するかは、人によって異なることでしょう。30年以上にわたって人体解剖を行ってきた養老孟司氏は「これだけ長くやっていると、生と死の境が明確でなくなってきて、死体に対しても、生体と同じような親しみを抱くようになってくる」と述べていますが、目の前の標本はモノにしか見えず、自分を重ね合わせるのには無理がある、という人も多くいるはずです。これはどちらが正しくどちらが間違っているのかという問題ではありませんが、生と死の意味を考える上で実に示唆的です。生を得た人間の誰もがやがて死を迎えるという事実がある以上、生と死については、誰もが自分の問題として考えるべきであり、今回の展示がそれを考える一つのきっかけになればいいと思っています。
近代医学の発達により人間の生と死までもが操作され得るようになっていますが、こんな時代には生と死に関する自分なりの哲学が必要ではないでしょうか。

・「人間とは何か」
「人間とは何か?」―――これは、人類にとって究極の命題です。そして、今回の展示でも、私たちが究極的に考えたいのはこのことです。皆様も、「人体」という身近でありながら普段目にする機会のないものに触れることで「人間」についてより深く考えるきっかけをつかんでいただければ幸いです。

■プラスティネーション展示物リスト
ドイツ・ハイデルベルク大学製の標本
1. 男性全身プラスティネーション 半切、左
2. 男性全身プラスティネーション 半切、右
3. 女性前頭断全身シートプラスティネーション
4. 妊娠3カ月の女性の体幹の矢状断と子宮内胎児のシートプラスティネーション
5. 6カ月胎児の正中矢状断のシートプラスティネーション
6. ヒト小腸
7. ヒト喉頭

東大医学部標本室製の標本
8. ヒト脳 半切、左
9. ヒト脳 半切、右
10. ヒト心臓
11. ウシ心臓
12. ヒト喉頭
13. ヒト小腸
14. ヒト盲腸
15. ヒト大腸

養老孟司氏所蔵の標本
16. ヒト脳
17. ヒト脳の切片集

■プラスティネーションとは?
プラスティネー Vョンは、ドイツ・ハイデルベルク大学医学部の Dr. Gunter Von Hagen が1977年頃より研究を進め、1985年に実用化に成功した技術である。従来の標本はホルマリンやアルコールに浸した「液浸標本」がほとんどだが、これだと、@液体の交換など管理が大変で、管理が不十分な場合、大切な標本を失うか、その価値を落としてしまう。 Aホルマリンなどの保存液には刺激臭があり、長時間の観察には向かない。B時間が経つにつれて、色や大きさが変化して、本来の状態をとどめなくなる。───などの欠点があった。プラスティネーションはこれらの欠点を全て克服する画期的な技術である。この技術により、人体や動物のあらゆる器官を部分あるいは全体を問わず、空気にさらしたまま半永久的に保存できるようになったのである。
プラスティネーション 標本は、生体の組織に含まれる水と脂質をポリマー(重合体)に置き換え、組織を硬化させて作成する。ここで使うポリマーは、成分の蒸気圧が高く、浸透性が高く、浸透中に成分が分離せず、組織の存在下で硬化でき、標本作成過程で変性したり組織を壊したりせず、再利用が可能である、などという条件をクリアしなければならず、この条件の壁がプラスティネーション技術の開発を阻んでいた。現在、プラスティネーションで使われるポリマーは、シリコーン、エポキシ樹脂、ポリエステル樹脂の3種類があり、どれを使うかによって、力学的性質(硬いか柔らかいか)や光学的性質(透明か不透明か)が変わってくる。シリコーンを使う場合、柔軟で弾力性のある標本ができ、触った感触は自然の状態に近い。今回展示している男性の全身標本はシリコーンを使っている。エポキシ樹脂を使う場合は硬めで透明な標本ができ、できあがった標本を薄く(約2.5mm厚)切ることで人体の縦断あるいは横断切片を作成できる。今回展示しているシートプラスティネーションはこの方法で作られたものである。ポリエステル樹脂は灰白質と白質の区別を明瞭にする性質があるので、脳切片の制作に適している。

<標本の作成方法>(シリコーンを使用する場合)
1、標本にするものをホルマリン液によって固定する。(約7日間)
2、余分なホルマリンを除去するために水洗(約3日間)
3、急激な冷却をすると組織が収縮してしまうので、予備冷却を行う。(1〜2日)
4、-25℃に設定された槽に入れ、まずアセトンによる脱水を行い、それから、同じ容器内に入れてあるシリコーン槽を真空状態にし ト、気化したシリコーンを組織の中に浸透させる。(約2週間)
5、シリコーン槽より取り出した標本から余分な標本を拭き取る。予備硬化。(約1週間)
6、密封した容器内で硬化ガスを用いて標本内部のポリマーを硬化、乾燥させる。(約2日間)


「人体の博物館」
養老孟司
死体は気味が悪い。そう思う人が多いらしい。机の上に手だけが置いてあったら、たいていの人はギャッという。自分だって同じものを持っているくせに、なぜ不気味か。そういうことは、あまり議論の対象にならない。問答無用に不気味らしい。だから、解剖学という私の専門分野は、いわば問答無用の領域に編入されてしまう。お好きな方が、お好きなようにおやりになったら、いかが。
その結果、なにが起こるか。身体が紛失する。だれも真面目に考えないものは、無くなってしまうのである。現代の多くの問題、末期医療、臓器移植、脳死、これは身体が消えたために生じた。そう私は思う。
だから私は人体の博物館を作りたい。そこでは専門家ではない一般の人が、実際の人体に自分の手で触れることができる。テレビや模型ではいけない。人間の真の知識は、五感の全てから入るものである。目だけ、耳だけからではない。それでは「疑似体験」に過ぎない。
人体博物館が必要なのは、じつは日本人が江戸時代に身体を失ったからである。以来身体を失ったままだから、脳死や臓器移植をどう考えたらいいか、それがわからない。ないものについて考えるのは、むろん不可能だからである。それなら、これから身体を回復するしかない。それには、一般の人が人体に関する真の知識を得る必要がある。だから「人体にさわれる」博物館なのである。………(中略)………
現代は情報・管理社会だという。しかしその真の意義が理解されているとは思えない。情報・管理社会とは脳化社会ということである。そこに存在するのは、脳の産物すなわち人工産物であり、言語、文化、伝統である。自然は排除される。その脳化は江戸に始まる。江戸期の身体の脳化はポルノグラフィーにみごとに表現される。枕絵には、生殖器が異常な大きさで描かれる。なぜか。それは身体が脳化したからである。生殖行為中に脳内で生殖器が占める、相対的な大きさを考えてみよ。それは枕絵に描かれたものよりさらに大きいかもしれない。ここでは脳の中における生殖器の比率が絵画に表現される。実際の身体は「ない」。
身体をいまでは徹底的に隠す。死体はただちに火葬する。それは、外部の自然の消失と軌を一にしている。脳は自然を排除するからである。なぜなら自然は統御できない部分をかならず含み、それは脳が目的とする「統御と管理」に反するからである。人体は人間が加工して作ったものではない。それは自然物なのである。だから現代から排除される。
こうして、われわれに必要なものは、人体の博物館だとわかる。そこでは一般の人が、実際の人体に「触れる」ことができる。これはいままで医学校の特権とされてきた。「知る権利」を主張する新聞が、これに異を唱えないのはなぜか、不思議と言うしかない。この博物館によって一般市民にはじめて身体が回復されるであろう。いまでは、卓上に置ける、実物から作った美しい人体標本が作製可能である。この技術をプラスティネーションという。
不快なものをなぜわざわざ見せる必要があるのか。解剖された人体を見、それに触れることは、人心に悪影響を与えないか。「解剖のような野蛮行為は、人情酷薄な西洋でならともかく、この国で行うべきことではない」。これはじつは、江戸時代の医師山脇東洋が行った解剖に対する当時の代表的な反対意見だった。その意味では、山脇東洋の時代から、われわれは一歩も前進していない。だからこそ、いまあらためて、人体の博物館なのである。
(文藝春秋刊「涼しい脳味噌」より引用)

「プラスティック人間創世記」
養老孟司
プラスティック人間を作る、と言うと、すぐに模型を考えるであろう。そうではない。人体の水分を抜き、かわりに樹脂を入れる。樹脂が固まると、その樹脂で固まった人体ができる。むろん、この技術は、生きている人にはまだ使えない。死んだ人だけである。
水を含んでいないから、腐る心配がない。ホルマリンやアルコールに漬けた標本と違って、瓶の中に入れて、間接的に観察する必要はない。乾いているから、机の上にでも、そのまま置ける。ひっくり返すのも、虫眼鏡で詳しく見るのも、自由自在である。こんな便利な標本は、いままでなかった。
そんなものを作るより、模型の方がきれいでいいじゃないんですか。これが、ごくふつうの人の反応。それに、実物はなんだか気持ちが悪いじゃないですか。
模型と標本の区別がつかない。これが人工物で覆われた、現代社会に住む人間の、いちばん悪い癖。テレビで戦争を見ていれば、戦争に参加したつもりになっている。
模型を虫眼鏡で見てごらんなさい。なんとも単調な、砂漠みたいなものが見えるはずである。自然の造形という意味では、砂漠の方がはるかにましであろう。標本はどこまで拡大しても、その材質は根本的には「自然」であり、模型は、どこまで行っても、その模型を設計した人間の頭の程度から出られはしない。現代の人間は「人工物」、つまり他人の頭の中に住んでいるから、それが皆目わからなくなっているのである。
「気持ちが悪い」と言うが、人体とは、自分の持っているものである。それがなんで気持ちが悪いのか。腕を一本、机の上に置くと、たいていの人が逃げる。自分だって、腕を二本持っているくせに。
標本というと、なんだかありがたそうな、役にたたなそうな、そんな感じがするであろう。この国の人は、標本に対して、ふつう見世物以上の興味は持たない。いちばん大きな理由は、なぜ標本というものが必要か、それを理解しないからだと思う。
標本とは要するに骨董と似たようなものだが、それにしても骨董ほどは金にならない。そう思っている以上は、標本をどうやって作るか、それに興味があるはずがない。そもそも、なにを標本にしていいのか、それもわからないはずである。要するに、その価値がわからない。
骨董と標本はどこが違うか。たしかに似たようなものである。ただし、骨董なら「人工物」で、標本は「自然物」である。いまの世の中は人工的な世界である。ということは、人工物の世界なら、まだいくらかは理解するが、自然物はまったくダメだということである。東京の町を歩いてみればいい。人工物でないものが、どこにあるか。
………(中略)………
身体とはなにか。その身体でできている人間とはなにか。身体はどのようにできているのか。自分自身のことであるのに、われわれはそれを決して読み切れはしない。それが自然というものであり、人体はその自然の産物である。それをつくづく教えてくれる。それがプラスティック人間である。
(文藝春秋刊「涼しい脳味噌」より引用)
*********************************

<来場者の反応>
7月27日から30日までの4日間開かれたこの人体展には、老若男女合わせて2200人を越える来場者があった。新聞、テレビ、ラジオでも取り上げていただき、日が経つごとに来場者数は増加したが、「もっと宣伝すべきだ」という声がかなり聞かれた。人体展来場者にはアンケート記入をお願いし、大変貴重な意見をいただくことができた。
今回の展示に対して、「意義があることだ」と評価して下さった方が圧倒的で、われわれの意図は理解していただけたようであった。子供も含め、標本に自然に対峙し、その現実をすんなりと受け入れている人が多いのが印象的であった。ただ、「一般の人には見せるべきではない」「興 。本位にしか思えない」といった声や、われわれの企画のあり方に対する苦言もあり、そういった意見もきちんと受け止めなければならないと思った。「『人体の博物館』はあった方がいいと思いますか?」という質問に対しては、
はい 332人(84.1%)/ いいえ 27人( 6.8%)/ 無答、どちらでもない 36人( 9.1%)
という結果が出た。人体展示を望む声がこれほど高いとは、われわれにとっても予想外であった。傾向としては、一般の方よりも医療関係者に否定的な意見が多かった。
一番注目を集めたのは、やはり全身プラスティネーションで、感動の声が聞かれる一方で、気持ち悪い、グロテスクだ、という感想も聞かれた。また、「モノにしか見えない」という感想も多く、中には、標本は模型だと思いこんでいる人もいた。また、われわれは意図的に、「死体」という言葉ではなく、「人体」という言葉を使うようにしていたが、アンケート用紙には「死体」と書く人が多かった。
多くの女性が「印象的」だったものとして挙げたのが、胎児のプラスティネーションで、男性でこれに触れた人がいなかったのと比べると、実に対照的であった。
「こういう展示を見せるべき人」という質問には、「誰にでも」という答が多く、「特に子供にこそみせるべき」という答も多かった。
献体について聞いた質問に対しては、「献体してもよい」「自分は献体したくない」という両方の意見が多く見られた。「自分はいいが、家族はいやだ」という声も多かったが、これは、「自分の死」(一人称の死)よりも、「身近な人の死」(二人称の死)の方が、リアリティーを持つからであろうか。

<アンケート集計結果>
<入場者数>

   7/27 7/28 7/29 7/30 総計
大人 179人 233人 548人 502人 1462人
子供 132人 114人 187人 307人 740人
合計 311人 347人 735人 809人 2202人

<アンケート回収数>
7/27  67人
7/28  94人
7/29  98人
7/30  136人
合計  395人

<年齢>
 0歳代  8人
10歳代  98人
20歳代  113人
30歳代  71人
40歳代  65人
50歳代  16人
60歳代  11人
70歳代  7人

<職業>
学生 155
 大学生 30
 医療系専門学校 44
 高校生 13
 中学生 21
 小学生 7
 幼稚園児 1
会社員 54
医療関係(医師・看護婦など) 46
公務員 28
主婦 26
教員 13
学者・研究者 3
塾講師 2
団体職員 1
自衛官 1
農業 1
アルバイト 1
自営業 1
無職 9

<性別>
男 189  女 201 Q1この「人体」展はどちらでお知りになりましたか?
新聞 82
テレビ 32
ポスター・ビラ 30
人から聞いて 179
その他 166

Q2 「人体」展に行ってみようと思った理由は何ですか?
<積極的理由>

面白そうだから、興味があった 160
勉強するため 48
本物を見てみたかった 23
学術的(医学的、解剖学的、生物学的)に興味があった 21
人体に興味があった 17
貴重な機会なので 12
プラスティネーションに興味があった 10
子どもに見せたかった 9
自分自身について知りたかった 6
一般の人にどう受けとめられるか知りたかった 2
<消極的理由>
人に連れられて、誘われて、薦められて 23
科学館に来たついでに 12
授業の一環 6
科学館の催し物だったから 4
なんとなく 4
無料だったから 3
<少数回答>
今後の健康維持のため 1
人間の絵を正確に描くため 1
科学技術フォーラムに出席したので 1
展示内容を確認するため 1
恐いもの見たさ 1

Q3実際に展示をご覧になった感想をご自由かつ率直にお書き下さい。
・プラスティネーション標本

<肯定的>
すごい、感動した、楽しかった 93
(本物なので)わかりやすかった 45
手に取ることができてよかった 14
リアルだ 14
つくり方に興味を 持った 13
科学技術の進歩はすごい 12
人間や自分自身について感じ、考えた 10
人体に対する知識を確実にすることができた 10
不思議だ 9
ショックを受けた 8
美しい 8
珍しいもの、普段見られないものを見られてよかった 8
本物を見られてよかった 8
驚いた 7
初体験 7
思ったより恐くなかった 4
勉強になった 3
献体してくれた人に感謝 3
<否定的>
気持ち悪かった、こわかった、グロテスクだった、生々しい、刺激が強すぎる 48
本物という実感がわかなかった 14
もっと多くの展示があればよかった 4
きちんと説明してくれる人がいた方がよかった 4
<少数回答>
学校教材としてほしい 2
深部ももっと見たい 2
においがなくてよい 2
本物よりもわかりやすい(?) 2
本物を見ている気になった(?) 2
さわりたかった(?) 1
展示方法が良かった 1
人体は複雑だ 1
神秘を感じた 1
もっと学習したい 1
解剖をする学生にはとてもよい 1
子どもに見せたい 1
人間の歴史を感じた 1
いかに自分のことを知らないかがわかった 1
人体に対するイメージが変わった 1
標本になってしまった人はどうして標本になってしまったのでしょう 1
赤ちゃんがかわいかった 1
なるほど 1
ミイラのつくり方も知りたい 1
ホルマリン漬け標本よりも本物っぽい 1
日本でできないのがよくわかる 1
手に取ることをためらってしまった 1
小学生向きに目線を下げた方がよかった 1
必要最低限の展示に抑えてほしい 1
複雑な気持ち 1
自分は展示されたくない 1
わかりにくい 1

・コンピュータ上の人体
<肯定的>
すごい、素晴らしい、興味深い、面白い 54
わかりやすい 18
細かいところまで見られてよい 14
教育・勉強に役立つ 9
リアルだ 9
人体を理解するのに有効だと思った 5
ほしい 5
学校にほしい 4
医療現場で役立つ 3
今後の発展に期待が持てる 3
きれい 3
コンピュータグラフィックスの進歩に驚いた 1
三次元的にものを見ることの大切さを知らされた 1
<否定的>
難しくてわかりにくい 21
もっと説明がほしい 3
画面が小さい 3
処理に時間がかかりすぎる 2
コンピュータグラフィックスでは人体を細部まで理解できない 2
本物(プラスティネーション)にはかなわない 2
本物みたいだが本物ではない 1
使いこなせなかった 1
音声があった方がいい 1

Q4 このような展示にはどういう意味があると思われますか?
一般の人が人体(自分の体)を見る・知るというのは価値がある、人体に対する理解が深まる 122
勉強になる、人体の構造がよく分かる 48
人体・生命・命のすばらしさ、大切さ、尊厳、神秘がわかる 25
(医療系の)学生への教育として有効である 12
医療従事者のためになる 9
人間の真実、現実の姿を知る 8
医学のために有効 5
科学・医学の進歩を実感できる 5
生命倫理・人権問題について考えさせられる 4
子供の教育によい 4
生死観形成の助けになる 3
タブーへの挑戦 3
わからない 2
「本物」を味わう感動 1
生命科学を知るために必要 1
「客観的にものを見る」という思考形態をつくる一助となる 1
「死」という暗いイメージから離れて人間を博物的価値観からとらえる意味で重要 1
科学技術の発展をもってしても人体の精巧さにはかなわない 1
標本の前では人種差別などもナンセンスに感じられる 1
「個」による差を認識 1
より人間らしい行動ができるようになる 1
人間と動物の違いを知る 1
献体者に感謝 1
解体新書との関連づけで興味深い 1
大学と一般社会を近づける 1
「畏敬」という意味を知るほどに成熟しているならば有効 1
死という自然現象に逆らって展示することによる倫理上の議論が起これば今後の医学の方向性に影響する 1
(係員がついていないので)単なる見世物にすぎない、プラスティネーションは死者への冒涜だ 1
展示は説明不足 1
意味はない 1

Q5 こういう展示は誰に見せるべきだと思いますか? 誰には見せるべきではないと思いますか?
<見せるべき人>
誰にでも 147
医療関係者(医師、医学生) 48
興味・関心のある人 38
子供 28
学生、若い人 18
中学生以上 12
高校生以上 4
小学生以上 4
小学校高学年以上 2
教師 1
患者 1
スポーツ選手 1
非行少年 1
酒を飲み過ぎる人 1
自殺しようとしている人 1
戦争を起こそうとする人 1

<見せるべきでない人>
子供、幼児 21
生命の尊厳や人間の死についての認識が低い人 7
心臓の弱い人 5
貧血の人 3
神経質な人 2
病人 2
見たくない人 2
精神異常者 2
バカ 2
標本になっている人の遺族・関係者 2
妊婦 1
mad scientists 1
宗教関係者 3
客観視できない人 1
標本になった人たちのことを理解できない人 1
高校生 1
老人 1
興味のない人 1
こわす人 1
解剖に反対している人 1
動物愛護団体の人 1
商業ベースに乗せようとする人 1
食人癖のある人 1

Q6 「人体の博物館」はあった方がいいと思いますか?
はい  332(84.1%)
いいえ  27( 6.8%)
無答、どちらでもない  36( 9.1%)

<「はい」の理由>
人間の体(自分の体)について知るため 94
勉強になる 23
いつでも、誰でも見られるように 17
一般の人の理解が深まる 15
命の尊さを知るために 9
実物を見る必要 7
医療を学ぶ人にとって有効 6
子供の教育になる 4
科学・医学の向上のため 4
最も身近なテーマである 2
おもしろい 2
体感できる 2
真実の追求 1
病気を見せる 1
医療を身近に感じられる 1
人間について考えるきっかけとなる 1
学術的価値がある 1
もっと知りたい 1
動植物のがあるのだから人間のがあってもよい 1
人体への誤解をとく 1
隠すものではない 1
彫刻を造るため 1
かっこいい 1

<「いいえ」の理由>
常設するだけの価値がない 4
刺激が強すぎる 2
見るのは科学者だけに限るべき 2
特に必要ではない 1
命をものに思う人が出てきそう 1
誰もが見られるというのは問題がある 1
人体専門というのは時期尚早 1
科学館の一部分でよい 1
本物の人体の展示には反対 1
子供が泣く 1
「見せ物」ではない 1
倫理的に 1
なんとなく 1

Q7 人体標本の展示や医学生の解剖実習は多くの方の献体(死後に自分の体を提供すること)によって成り立っています。あなた自身やあなたの家族・知人が献体するということについてどう思われますか?
(医学・社会・人の)役に立つならよい、役立つのでよい 94
献体者本人の意志を尊重するべき、本人の了解があればよい 93
自分は抵抗がある、したくない 73
わからない 30
(自分はよくても)自分の家族はいやだ、抵抗がある 18
自分はしたい、自分ならいい 16
状況による(おもしろがって切り刻まれたりするのなら反対、学生が少しでもふざけて実習していたら許さない、見せ物になるのは嫌、など) 11
自由にしてよい 8
難しい問題だ 7
必要性は認めるが抵抗がある 5
全身ではなく一部分ならOK 4
医療関係者は進んで献体するべき 3
考えたことがない 3
知識と理解の普及が必要 3
医学部の解剖の様子を知っているので、抵抗がある 2
貴い行為だ 1
献体には疑問 1
実感がわかない 1
本人だけの問題ではない 1
臓器移植と変わらない 1
臓器移植ならいいが、献体には抵抗がある 1
なるべくならやらないでほしい 1
宗教的な問題がある 1
研究者に対して信頼が持てたらやる 1
複雑な気持ち 1
知っている人の標本だったら気持ち悪いだろう 1

Q8 その他お気づきの点がございましたらご自由にお書き下さい。
<展示物、展示方法について>
もっと展示物が多い方がよい、物足りない 22
もっと宣伝するべき 11
もっと解説があった方がよい 10
直接触れるのがよかった 9
説明する人がいた方がよい 8
展示の仕方があまりよくない 4
病気の標本が見たかった 1
ホルマリンづけが見たかった 1
もっとストーリー性のある展示を 1
展示の意義が感じとれない 1
<感想>
よい企画だ 8
来てよかった 8
ありがとうございました 7
勉強になった 6
すごかった 3
またやってほしい 3
たくさんの人に見てもらいたい 3
考えさせられた 2
科学技術の進歩に驚いた 2
真実を見るのはよいことだ 1
面白かった 1
一般の人にとって有意義だった 1
気持ち悪かった 1
5〜6ヶ月の胎児の体があんなに大きいとは思わなかった 1
人体についてきちんとした知識の必要性を感じた 1
小さい子供が多かった 1
子供が予想以上に関心を示していた 1
献体者に感謝 1
悪用が心配 1

※アンケートに書かれた意見よりいくつか興味深いものを………
(できるだけ原文をそのまま掲載しましたが、一部、原意を変えない範囲で言葉遣いなどを変えたものがあります。)
本物の人体を半分にして標本にしてしまうなどとは、本来ならば神をも恐れぬ業ということになるのだろうが、それも時代の流れ。ミイラを展示するのと同じと思えばいいのかもしれない。ともかく、真実を知ることは良いことなのだから。(48歳・公務員・女)
実物を目で見られて、手で触れられるのは感銘を受けたが、本当に必要なのであろうか。人工合成でつくっても色や大きさ、感触などは再現できるはずだと思う。何より生物は死せば土にかえるという自然の摂理に反するものだと感ずる。(26歳・准看護学生・男) 
医学に詳しい人は理解できると思うが、普通の人は死体の標本を見ているようなものだ。(36歳・医療関係者・男)
実際の人体内部をこの目で見られて貴重な体験をしたと思う。あれと同様の構造が自分の中にもあるのかと思うと、いかに自分のことを知らないかということを思い知らされた気がする。今まで、写真、模型等で人体の構造に触れる機会はあったが、それらによるイメージは、今回本物の人体を見て変えさせられた。(18歳・学生・男)
漠然と抱いている人体(自分の体)のイメージに人体の正確な像を与えて客観化することは、自己の把握にも、また、他人に対しての認識においても役立つものだろうと思う。(同上)
科学は一部の人間だけのものではなく、人類全体が関与してよいものだと思う。そのことを考える意味でも、広く一般の人々に対してこういう展示を行うことは有意義なことだと思う。(同上)
7歳の子供が体の中に興味を持っている。実物を見せるのはとてもいい機会だと思った。(35歳・医療事務・女)
「人」は、ただ生きているのではなく、いろいろなものが成り立って正常に動いていることによって生きているのだということを知ることができる。(20歳・准看護学生・女)
いろいろな意味でさきがけ的な意義があると思います。「感動できる本物」「本物でなければ味わえないもの」があると思います。(41歳・教員・男)
ショックでした。技術としてはすごいことだと思いましたが、生きていた人間そのものだと思うと、まだショック状態が続いています。(42歳・主婦・女)
圧倒された。しかし、いまいち自分の体がこのようになっているとは実感できない。どうしても別物のように思える。(17歳・高校生・男)
すごくおそろしい………。体のことを身近に感じた。(10歳・小学生・女)
この展示を見るまでは献体することを考えてもよいと思っていましたが、標本を見てからは、やっぱり普通に死後はお墓に入って、遺体をこの世から消してしまいたいと思いました。(43歳・女)
自殺をしようとしている人、自分を見失いつつある人にこれを見てもらい、人間の深さを知ってもらいたい。(18歳・准看護学生・女)
死や死体に対してタブー視する傾向がある中で、ある意味で「さらしもの」にすることは、タブーをのりこえ、より「ヒト」というものを理解する足がかりになると思う。(40歳・教員・男)
初めて人間の中身を見た。すごく感動した。しかし、こんなふうに自分がされるのはとても嫌である。この標本になってくれた人たちに感謝しなくてはならないと思った。(13歳・中学生・男)
専門家だけではなく、普通の方々に見せるのも必要ではないですか?人体を常に預かっているのは、医学者ではなくて、その身体とともに生きている普通の人々ですから。(27歳・会社員・女)
いくら最新の科学技術とはいえ、「人間」が関与しない技術はありえない。人体の精巧さを思うとき、まだまだ人間自身の開発した科学技術は劣っていると思わざるをえない。科学技術が発達すればする程、「人体」そのものに深く思いをいたさねばならない。(28歳・医師・男)
"memento mori"ならぬ"memento humani"?自分自身の体の仕組みについて知り、想う場所があった方がよい。(同上)
やっぱ化けてでたりするんですか?(20歳・大学生・女)
実物標本と考えると、実際手にしてみるのは若干のためらいがありました。どうしてもはじめは客観的に対処できないからではないでしょうか。(23歳・大学生・男)
子供たちが自然に受け止めていますね。公開してよかったことの一つです。ヴァーチャル世代の子供たちにとって身体のリアリティーに触れることができるというのは意味があると思います。(女)
人間はとてもすごい生物だと思った。(13歳・中学生・男)
気持ち悪いとか、そういうものではなくて、自分もこういう構造なのだなという静かな感動があった。(20歳・大学生・女)
ここには「死」という暗いイメージはない。(21歳・大学生・男)
珍しいものを見る感覚であったが、最後には、自分なんだとハッと気がついた。(40歳・女)
プラスティネーション標本は遺体であり、人体です。このような形の展示は死者に対する冒涜ではないか。医療に携わろうとする学生にはきちんと説明して見せるべきであり、一般の人には興味本位の見世物にすぎない。(44歳・医師・男)
標本の方はドイツ人だそうですが、こういう姿になってしまったらもうわかりませんね。(20歳・大学生・女)
小さい女の子は「もういやー」と言いながら出ていきました。(同上)
家族の標本を見せられるのは嫌です。でも、自分の標本だったら見ないですむ。死んだら他人の体になっちゃう。(同上)
人体についてきちんとした知識があれば、無用な心配も減るかもしれない。(女)
日本では、自分自身の体を自分のものとしてとらえる教育の場がないように思う。インフォームド・コンセントというが、いくらinformされても、「自分はしろうとですからお任せします」という言葉をはく患者が大部分だと思う。もう少し自分を知る場としてこのようなものがあってもいいのではないかと考える。(47歳・教員・女)
作りものなのか本物か、とっさに判断できなかった。シート状になってしまった人体はもう人間ではなくなってしまったように思えた。(20歳・大学生・女)
科学技術にも驚嘆したが、余計な感情を交えずこのようなものを一般人に公開したことは意義があると思う。私も二年前に目の手術を受け、医学の恩恵に感謝している毎日であるが、現実の肉体について私たちはもっともっと知るべきであると思う。(64歳・無職・女)
体のつくりをひとつひとつ部分として見るのであれば見られるが、一つの体(一人の人間)として見るとこわくなる。本当の人体と、知識の上の人体とは異なるもののような気がする。(43歳・教員・男)
シカゴ科学館で見たものと同じようなものがあってびっくりした。日本もこのようなことをするようになったのですね。ところで、このサンプルは白人系ですか?黒人系ですか?シカゴのものは黒人のものでしたが。(37歳・研究者・男)
サンプル提供者に対する謝礼の言を明記すべきでしょう。(同上)
ドイツの大学の所有とのことで、ユダヤ人かと思った。(40歳・会社役員・男)
55年前、旧制高校生物部で、凍らせて標本を作ったことがあり、高分子時代の標本製作の変化に感心すると同時に、良い材料に恵まれ、今の人は幸せだな。(73歳・名誉職・男)
(人は)死んだ時から物質や。(同上)
あかちゃんがおなかの中に入って死んだものがかわいそうだと思った。(10歳・小学生・女)
胎児の標本は妊婦さん向けに見られたらよいと思った。(35歳・主婦・女)
自分の体がこういうふうになっているとは思わなかった。(9歳・小学生・男)
私は小4の娘を連れてきました。「将来医者になりたい」と言っているからで、どういう反応を示すかと思いましたし、もし入室をいやがったら帰るつもりでした。しかし私以上に標本にさわったり、興味がある様子でした。(40歳・主婦・女)
実際のものを見せるのはよいと思うが、人間の死というものを軽く見る風潮があるこのごろ、人間の「死体」の標本を、子供、学生にあまり見せたくない。(34歳・女)
胎児の標本はとても神秘的でした。病院で超音波で見たことはありますが、この標本ほど鮮明ではなかったので、改めて人間の体の偉大さに感動しました。(37歳・主婦・女)
ほとんどの人間は、自分のものでありながら、一生身体の内部を見ることができないので、このような展示で、自分というもの、人間というものを深く見つめ直すことができると思う。(43歳・主婦・女)
現代は科学や技術の進歩であまりにも人命が軽視される傾向にあると思う。自分の身体、人間の身体の深遠さにもっと敬意を払わなければならないと思う。それが、ひいては世界の平和につながると思う。(36歳・鍼灸師・男)

[目次へ]

トップに戻る