<2-8-1> 「としみの脳味噌」(日米学生会議日本側参加者向けの会報に連載したエッセー集)より
  解剖実習を終えて
   「解剖」といってもカエルやマウスの解剖ではなく、「ヒト」の解剖である。
 解剖の話をすると大抵の人は「気持ち悪ーい」という反応を示すが、実際やってみるとこれほど楽しいものはない。カエルやマウス(カエルは生きたまま麻酔して、マウスは首の骨を折って安楽死させてから解剖した)の時は気持ち悪かったが、人体解剖でそういう感情が起きる場面は一度もなかった。単に僕が鈍感なだけかも知れないが、普段見ることのできない人の体の中を見られるという興奮が気持ち悪さを打ち消していたのだと思う。
 ただ、「死」がタブーとされ、死体を見かける機会のほとんどない社会に住む人たちと、日常的に「死」や「死体」に接する人たちとで認識に違いが出るというのは事実であろう。立花隆氏のように「医学部で解剖実習をやるから残酷な医者が育つのだ」という人もいるくらいである。その認識の違いが、例えば医者と患者との間に壁を作るようなことがあれば問題だが、それは医者個人で解決すべき問題であり、認識に違いがあること自体はやむを得ないことだと僕は思う。解剖学の養老孟司教授は、そういった認識の差を少しでも埋めるために一般の人たちにも死体を見せるべきだ、という考えを持っていて、科学博物館で人の死体の展示をすることを企画しているらしい。みんなも機会があれば見に行くといいと思う。僕が解剖実習室に案内することもできる。僕は友人を解剖実習室に連れていったことがあるのだが、彼女がショックを受けているのを見て、自分の感覚が世間離れしているのにハっと気がついた。いつの間にか大きな認識の差が生まれていたのである。

 
 確かに日本社会では「死」はタブーであるが、このタブーを少し脇に置いて眺めてみれば、死体は何も特別なものではない。僕の、みんなの、そして地球上の全ての人々の近い将来の姿である。社会は、生体と死体を明確に分けようとしているが、社会的概念を取り除いてしまえば生体と死体の区別ははっきりしたものではなくなる。そもそも死亡時刻なんていうのは法律で決まっているだけで生物学的な根拠はあまりない。脳死を人の死とするか、なんていうのも同じである。死体を「気持ち悪い」と感じるのは社会的概念のせいであって、死体そのもののせいではないのだと僕は思う。

 解剖実習では、身体の各部の構造を観察し名前を確認していくわけだが、バラバラ殺人の犯人がやるような豪快な作業ではなく、ピンセットで地道に神経や血管を掘り出していくという作業が中心となる。教科書の記述に沿って2カ月間、皮はぎ→首→腕→胴体→足→骨盤→頭といった順序で進めていく。1班4人で、僕の班では4人とも同じようにさぼっていたので、たいてい2人で作業を進めることになっていた。
 解剖をやっていて喜びを感じるのは、教科書の記述通りの構造が見つかるときである。渡辺淳一は小説の中で医学生にこう言わせている。「考えることからものの言い方まで、すべて違う人間が表皮一枚剥げば、みんな同じになる。これはひどいと思わないか。………すべて解剖学者の手によって明らかにされたまま反撥しようとしない。そのあまりに従順すぎるところがいやなのだ。」―――しかし、僕はむしろ、かなり複雑な構造までもが、教科書通りに体の中に存在するというのに面白さを見い出した。多様な中に普遍があるからこそ面白いのだと思う。僕の気持ちは、渡辺淳一のものよりも、人体構造がターヘルアナトミアの解剖図の通りだったことに驚嘆した杉田玄白のものに近かったと言える。
 とはいえ、すべてが教科書通りというわけでもない。奇形のない人というのはけっして存在しないのである。教科書に「○○%の頻度でこういう奇形が見られる」と書いてあったりもするが、教科書で触れていないような奇形もよく見つかる。病変部ではそれが著しい。ただ、実習の終わりになって「奇形」が増えるのは、神経や血管を探すのが面倒くさくなった学生の都合によるものである。僕の班の遺体の死因は「急性呼吸不全」であったが、神経が見つからなかったりすると、「この神経の欠如が呼吸不全を引き起こしたんだね」などと冗談で言ったりしていた。けっこういい加減なものである。
 冗談を言うなんて不謹慎な、と思うかもしれないが、そういう考えも「死」をタブーとする社会のがもたらすものである。ぼくらは遺体を前にして冗談を言ったり、切断した腕を持ち上げて「やあ」と言ってみたりしたが、けっして死者を冒涜するするつもりなどなく、むしろ、彼(僕の班の遺体83歳の男性であった)に対しては親しみを感じていた。生体に対して親しみを込めてやるような行為を遺体にやって悪いわけがないと僕は思う。
 実習最終日、隣の班は僕の班よりも早めに終わり、納棺作業を始めた。そして、その光景は僕を悲しい気持ちにさせた。彼らは、遺体のかけらの大きい部分を無造作に棺に投げ込んだあと、バケツに保管していた細かいかけらをその上にドサっとふりかけたのである。棺の中には結合組織や内臓のかけらにまみれて、頭や腕や足や胴体がバラバラに散らばっていた。冗談を飛ばし、笑い声を上げながら棺のふたに釘を打ってる彼らの姿を見て、今まで淡々と解剖を進めてきた僕は初めて激しい感情に襲われ、涙が出そうになった。彼らは、ご厚意で献体して下さり、縁あって自分たちが解剖することになった方に対して敬意も親しみも抱いていないのだろうか。片づけが終わった彼らの解剖台の上には、きれいな洋花と折り鶴が飾られていたが、その前の光景を見た後では、それは死者への哀悼というよりは、「霊となってとりつかないでくれよな」というメッセージか、あるいは単に解剖実習が終わった喜びを表しているようにしか思えなかった。
 以前、東大病院の放射線科の読影会(レントゲン、CT、MRIの写真や画像を数人の医師で見ながら診断していく場)に立ち会ったことがあるのだが、そのとき医師たちは、ものを食べながら写真を次々と見ていき、「おっ、こんな所にがんができてるよ。面白いなぁ。初めてだよこんなの。ハハハハハ。」などと、とても愉快そうに診断を下していた。少し憤りを感じた僕は、その後で、彼らにどういうつもりなのか尋ねたのだが、「いちいち感情的になっていたら患者のためにはよくないんだよ。冷めた目で見ることが必要だね。」というのが彼らの言い分であった。この論理はcure(治療)に関する限り間違ってはいないかもしれない。しかし、医療というのは、cureとcareがあって初めて成り立つものである。患者の気持ちを無視し、患者不在のままcureだけを続けていては、けっして医療というのは成立し得ないのである。日本の医療の問題点はここにある。がんを見つけて笑ったり、解剖した遺体を無造作に棺に投げ込んだりする人たちが、医師として尊敬されている社会というのが果たして正しいものかどうか、疑問を持たざるを得ない。

 
 さて、実習最終日、僕の班もやがて解剖を終えて納棺作業に移った。腕、足、胴体、骨盤、頭をできる限り原位置に近い状態で並べ、内蔵も、心臓の心室心房に至るまで生体に近い状態に配置した。棺にはさらに、近くの花屋で買ってきた白と黄色の菊の花を入れ、ワンカップ大関を2杯、遺体の上に注ぎ(日本酒が嫌いだったらどうしよう、とも思ったが、遺体固定用のホルマリンやホルマリン置換用のアルコールに比べたらかなりましである)、ふたを閉めた後、4人で1本ずつ釘を打ち、地下室に運んで手を合わせた。実に感慨深いものがあった。
 僕は、いい医者になる、と「彼」に誓った。

  (1994年6月)
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