―――先生はがんになられる前後でものの考え方は変わりましたか。
がんになったことで、自分もいずれ死ぬんだという実感を初めて持ちました。自分がこの世から消えてなくなると考えるのは言いようもなく恐ろしいことでしたが、そういう恐怖の淵から戻ってから、生が輝いて見えるようになりました。それまでは医者として狭い社会の中にいたわけですが、死を感じたことで、世の中を広く眺められるようになり、患者さんの気持ちもわかるようになった気がします。また、医者として患者さんを見る目も変わりました。最近は、患者さんをみて、この人がこれからどれくらい生きる可能性があるのかということをまず考えます。85とか90歳の人だったら、いずれにしろ死は近いわけで、40歳くらいの人を治療するのとはまるで違うわけです。
―――先生は、厚生省の外郭団体である長寿社会開発センターの「福祉のターミナルケア研究会」に参加されているそうですが、どういう活動をされているのですか。
国内外の様々な施設を視察し、ターミナルケアが病院以外の介護施設でどのくらいまでできるのかを調査しています。昨年末には、帯広の「とよころ荘」という養護老人ホームをケア訪問したのですが、ここは、老人ホームでありながら、入所者ががんの末期になったり、死期が迫ったりしても、病院に送ったりせず、嘱託医の協力を得ながら、そのままターミナルケアを行っているのです。今まで医師がやっていた最期の看取りに、過度に医師が関与するのではなく、あるところまできたら、医師は、治るか治らないかの見極めだけをきちんとして、あとはそれほど医療がタッチせずに自然に任せるのがいいのではないかと私は思いました。個人の考え方にもよりますが、80すぎた人で10%くらいしか治る可能性のない治療を強いてやる必要はないでしょう。公的介護保険など、医療よりも介護の方でみるという方向に世の中動いていますので、老人ホームでのターミナルケアの取り組みは重要だと思います。とよころ荘の人は、「私たちはターミナルケアというのを特別に考えていない。自然に、他の人たちと同じような態度で接しているうちに、自然に亡くなっていく。そういう形が理想ではないか」とおっしゃっていました。ターミナルだからといって、勢いづいてケアをする必要はないわけです。北海道の原野のど真ん中にあって、外で馬が駆け、花もいっぱいある素晴らしい環境で、介護者や看護婦は実に自然にやっていました。
―――ターミナルケアは大きく取り上げられるようになって、大変そうなイメージが広がったように思いますが、もっと自然体でやるべきだということですね。
ええ。同じ研究会で、今年1月には、イギリスとスウェーデンのターミナル事情を視察してきましたが、ここでも「医療での死」から「自然な死」への方向転換を実感できました。末期がん患者では苦痛を与える治療行為は行わず、自然の成りゆきに任せているのです。
私は、治せないがんが見つかったときが人間の天寿だと思っています。そうなったら、「がんと対決」するのではなく、「がんと対話」するべきなのです。これからの医療においては、がん死を自然死と認めるような考え方が広まることが必要だと思います。人間というのは、がんで死んだというと「かわいそう」となりますが、老衰というとほっとします。でも、ある年齢以上になれば、老衰もがん死も一緒ですよ。がん死も自然の成りゆきだと思えばいいんです。「がんは病気ではなく、老化現象の一つの形にすぎない」と言う人もいます。
私自身、80歳を越したあたりで、苦しまないがんで死にたいと思っています。人間というのは、80歳をすぎるとあんまり苦痛も恐怖も感じません。そういうところで無理に闘ったりせずに自然に亡くなるのが理想だと思います。昨年の秋、30年以上医者・患者として交流のあった82歳の男性が膵頭部がんで亡くなったのですが、亡くなる前日にビールを飲みたいということで、奥さんにビールを買ってきてもらって、私も白衣を脱いで乾杯しました。「ああうまい、こんなうまいビールは生まれて初めてだ」と言って飲み干した彼は、数十分後には眠り込み、昏睡状態になって、翌朝亡くなりました。おいしそうにビールを飲んで、なんの苦しみもなくそのまま眠りについた彼の死に方は理想的な最期と言えるのではないでしょうか。
―――治らないがんとは闘わずに、むしろ理想的な死として受け入れればいいということですね。
私も40年間闘い続けてきた外科医ですから、「闘いたい」という外科医の気持ちも良くわかりますが、もう闘いたくないという患者の気持ちをこの頃考えます。治療限界を超えた患者さんに気休めの治療を行うのではなく、医師と患者が厳しい現実を共有し、話し合うことで、終末期医療の世界は充実するのではないでしょうか。結局、治せる病気は治せますが、治せない病気については、医者の技量ではどうにもならないので、あまり無理しない方がいいという気がします。僕が自分の手術を受けたとき、郭清をどこまでやるかと聞かれたので、「適当でいい、あまり深入りしないで」と言いました。どこかで線引きをした方がいいんです。僕は、75歳くらいになったら、病気なんか探さない方がいいんじゃないかと思っています。病気を探すからいろいろ心配になるんで、あとは自然の赴くままでいいんじゃないでしょうか。ある年をすぎたら、もういつ死んでも仕方がないと、諦観をもって暮らすことです。それが人生だと思うようになりました。
―――先生はホスピスについていかがお考えですか。
2年前、日赤医療センターに緩和ケア研究会ができ、院内にホスピスをつくる計画が持ち上がって、本当に必要なのか、ホスピスを実際に見てみようということになり、森岡恭彦院長(昭30卒)と二人で、北海道から大阪まで18のホスピスや緩和ケア病棟を手分けして見学してきました。その結果、人の価値観や死生観に合わせて、在宅でも、病院の一般病棟でも、緩和ケア病棟でも、老人ホームでも、最後を迎える場所の選択ができるのが重要であって、必ずしもみんながホスピスに行く必要はないだろうという結論になりました。それ以後、ホスピスをつくる計画は宙に浮いたままです。
最初は、この病院で亡くなる人はターミナルになれば病院内のホスピスに入ってもらって、そこで生を全うして亡くなるのがいいだろうと考えていたのですが、実際のホスピスを見てみると、母体の病院でがんで死ぬ人のうち、そこのホスピスに行くのは2〜3割くらいで、あとは病院で死んでいるんです。患者自身が行きたがらなかったり、主治医がまだ治せると言って離さなかったり、家族が納得しなかったり、いろんな理由があって必ずしも利用されていません。ホスピスが忙しいのは、外からホスピスに来る人が多いからであって、そうなると、病院の施設としてホスピスをつくっても、病院で亡くなる人のためではなく、地域の人々のためという意味あいが強くなります。これでは、われわれが考えていた「診療の延長としてのホスピス」とは少し視点がずれてしまうわけです。実際、私の患者でホスピスに行きたいという人はそれほど多くなく、大部分の人は一般病棟で死んでいくわけで、当面は一般病棟の緩和ケアを充実させるという考え方でいくべきだと思います。
人間の死に方というのは絵に描いた餅のようにはいかないもので、いかに施設をよくして、いかにきれいな音楽を聴かせて、お酒が自由に飲めたとしても、それで必ず安らかになるというわけではありません。自分が信頼した医者にすべてを託すことで心の安らぎを得て逝くという人もたくさんいるわけです。必ずしも場所の問題ではないし、患者さんの考え方は実に多様です。僕たちもホスピスがベストだと思って患者をホスピスに送ることがありますが、自分で望んでホスピスに移った患者から「治療を受けず、なすすべなくただ死を待つということがこんなに辛いとは思いませんでした」という手紙をもらったときには考えさせられました。
私自身は、最後になっても、元気に退院していく患者が同居する一般病棟にいたいと思っています。普通に生きている人たちの息吹を最後まで感じていたいからです。「死の受容」という言葉がよく使われ、これを教条主義的に受け止めた終末期医療論が一人歩きしているように思いますが、最後まで生命にこだわり続ける人が多いのが現実なのです。
在宅ケアの場合でもこんなことがありました。なんとか在宅ケアをセッティングした患者さんで、家に戻れたときは、奥さんも喜んで、「これで主人の思うようになりました」と言っていたのですが、土壇場になって病院に入ってきて、「ああよかった、これで安心だ」と言って数日後に亡くなったんです。死ぬときに医者がいたからといって何が変わるというわけでもないですが、なんとなく安心するんでしょうね。病室での対応に慣れきっていると、それがないと不安になってしまうんです。
―――一般病棟でも、信頼に足る医者がいれば、ホスピスや在宅よりも安心できる場になりうるということですが、患者さんと信頼関係を築くために、医師はどうあるべきでしょうか。
「教養というのは知識の量ではなく、相手の心を思いやる知性と感性である」と言った人がいますが、医師というのは、あらゆる人を患者として受け入れなければならないので、相手の心がわかるような教養が特に求められます。
21世紀のがん医療においては、患者に真実を告げることが基本になるでしょうし、医師がどういう価値判断でその治療方針を選んだのかをわかりやすく伝えることも重要になります。医者は、「主人公は患者さん」というのを忘れてはなりません。
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