<2-7-8> 鉄門だより(514)1996年1月号−2月号
21世紀の「医」を考える 第2回「『医』と『人間・文化』
 

中井久夫氏インタビュー

中井久夫氏は、昭和9年生まれで、昭和27年京都大学法学部に入学し、医学部に転じて、医学部を卒業、京都大学ウイルス研究所で6年間過ごしたあと、東大分院の精神科に入局し、現在、神戸大学医学部精神神経科教授である(3月で退官)。「精神科医がものを書くとき」(広英社)、「1995年1月・神戸」(みすず書房)などの著書がある。3年前に先生がつくられた新しい精神神経科病棟(清明寮)でお話を伺った。

 

―――医学は科学か、ということについてどうお考えですか。

科学の実験や観察における対象というのは働きかけをしないもので、対象化するというのは、働きかけをないようにすること。対象が意思を持っていては実験にならない。戦争が科学でなく、将棋や囲碁が数学にならないように、病気との戦いは科学ではない。臨床医学における「科学」というのは、軍事学におけるジェット機を飛ばす技術に近いものだろうし、将棋や囲碁で言えば、「定石」に近いものと言える。だから、医療というのは、「科学」というよりは「病気とのゲーム」の方が近いと思う。もちろん、「ゲーム」で単純に言い尽くせない面もある。医療における目標というのは「相手を負かす」という単純なものではないし、医療の大きな要素として自然治癒力がある、というのも「ゲーム」とは違う。近代医学の中心は感染症モデルなので、一刻でも早く治そうという発想が根底にあるが、精神分裂病などでは、いっぺんに治すのが望ましいことなのかわからない。急に症状がとれたら、患者はとても不安になる。医療というのは簡単ではない。とにかく、医療の真のあり方というのは、科学を越えたところにあると思う。

―――精神科という診療科についてどうお考えですか。

精神科のもとである内科は、「数百の数値から病気のパターンをにらみだす」というようなことを言う人が出てくるくらいに変質してしまったが、精神科の方は相変わらず患者さんと向かい合って耳を傾け、脈や顔色をみるところから始まる。もちろん検査というのは重要だけど、臨床検査の項目というパラメーターが数百、数千になろうと、そんなことは生体の中で起こっていることのごく一部にすぎないのであって、それだけになってしまってはよくない。患者との相互作用というのが見失われている。数よりも五感に重きを置いていた頃の内科のトレーニングは、今でも精神科の診療に役に立っている。患者の望んでいることは、自分の体を数値化して判断してもらうということではないという気がする。ことに老人はそう。阪神大震災のあとの救急医療でも、医者の作法で脈を診たり、聴診器をあてたりすることが、すでに精神的な療法でもあり、患者とのつながり、相互作用をつくるものでもある。いきなり採血して、あとで結果を知らせるだけでは、人間関係は成り立たない。

―――これからの医学の流れとして、はっきりとした精神科の病気でなくても、他の科で精神科的な治療が必要になると思いますが、その点についてはどう思われますか。

分裂病の治療ではかなりシステマティックな治療が必要で、善意だけではやれないが、身体病の精神的アプローチというのは、それに比べるとずっと優しく、そういうアプローチ法は、日々の患者見てる中で身に付くものだと思う。

―――患者の価値観が多様化で、医療の目標も一つではなくなってきていますね。

医者というのは、雇い芸人みたいなものだから、雇い主の意向を無視してはできない。精神科の薬というのは、中枢神経に働いて、複雑に考えていたのを単純に考えさせる、といった変化を起こすが、患者はその薬のせいで知能を下げられたと思うことがある。患者がきちんと薬のはたらきに賛成していないと、薬の効き目は落ちるので、力ずくで治療するときは、大量の薬がいるし、患者の方は大量に水を飲むなど、薬のはたらきをキャンセルする方向の行動をとる。患者のコンセンサスというのには、治療に対する同意だけでなく、治療の結果を歓迎するという内面的な合意もあって、その上に有効な治療が成り立つ。「100の説法(精神療法)より抗精神薬1錠を」と言った人がいるけど、薬を1錠飲んでもらうためにも、患者との精神的なつながりを作る努力が必要。薬を安心して飲める状況がないとどんな病気も治りにくい。意識的に飲むのをさぼったり、無意識的に、つい3回が2回になる。僕が患者さんに聞くのは、「この薬飲めば症状とれるかもしれないけど、あなた本当に治ってもいいの?」ということ。安心して飲めないときは、繰り返しになる。内科などを見ていると、本当に安心して治れないから内科に来ている人がけっこういる気がする。

―――この清明寮(精神神経科病棟)のコンセプトについてお聞かせ下さい。

ここは、鉄格子もないし、面積は規定よりも広くしてあるが、その結果、患者間のけんかが減り、退院要求が少なくなった。スタッフが働いているところも見えるようになっていて、入りやすい雰囲気になっている。こういう病棟をつくってみて、病棟というものがどれだけ治療の足を引っ張っているか、プラスになっているのかというのを確かめたかった。僕は、東大分院の病棟の設計をして、名古屋ではリハビリテーション病棟を作って、ここではこの病棟を作らせてもらった。3度つくらせてもらったというのは、精神科医冥利に尽きる。
環境というのはけして無視できない。ある大学で、動物小屋を新しくしたら、それまで発癌物質を打てば必ず発癌していた動物が発癌しなくなったということがある。東大の精神科でサルにヒロポンを打って実験分裂病を作ろうとしたことがあるが、頭をなでるかどうかでサルの反応は違った。動物でもこちらの接し方でだいぶ違ってくるんであって、まして人間は、と思う。
たとえば、日本の病院では、患者の睡眠の意義についてほとんど配慮していない。9時に消灯するといって、みんな寝てるわけではないし、それで5時半には採血なんかで起こされる。寝不足で体を害している患者がいかに多いか。僕は、分裂病を止めている一番大きいものは睡眠だと思っていて、実際、精神病は睡眠によってかなり解消するし、睡眠不足のままで回復した患者というのはものすごくもろい。そういうことも考える必要がある。

―――阪神大震災で精神科の診療はどうなりましたか。

阪神大震災はこの病棟を作ってから半年くらいの時の出来事で、この病棟にも何十人もの医師が寝泊まりしていた。阪神大震災で大きかったのは、精神科の意義が認識されたということ。日本の社会では、個人的な不幸というのは個人の中でしまいこめ、という伝統的な考えが強かったが、体験を分かち合い、生活再建を助け合うという考えに変わってきた。

―――災害時の対応についてどうお考えですか。

普段からマイナーな災害や事故で動いていないと、いざというときに動けない。神戸は大学から県立病院や保健所、開業医などの間でネットワークがしっかりしていたので、地震のときにうまく機能することができた。地震が起こったら、がれきが片づかない限り自転車も使えないのだから、それからネットワーク作るのは難しい。東京で地震が起こったら、東京の面積はさらに広くなる。東大病院に医者が到達する率だってそんなに高くないはず。それよりも、医者の到達できる最寄りの病院に行って診療するとか、センターをわけて医者が分散するということを普段からやっておくべきだと思う。
災害の場合、やはり中心になるのは東大。阪神大震災のとき東京の方でいくつかの大学が救援に立ち上がったときに議長になったのは東大の教授だった。東大の教授というのはそれだけの覚悟がいるということ。東大教授は宮中から呼ばれる時に備えてモーニングを用意しているそうだが、災害時にリーダーシップを発揮する準備もしていてほしいと思う。

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