<2-7-3> 鉄門だより(514)1996年7・8月号
21世紀の「医」を考える 第1回「学問の枠をこえて」
 

村上陽一郎氏インタビュー「高齢化」

村上陽一郎氏
昭和11年生まれ、昭和37年東京大学教養学部卒業。東京大学教養学部教授、東京大学先端科学技術研究センター長を経て、平成7年より国際基督教大学教養学部教授。専攻は科学史・科学哲学。「生と死への眼差し」(青土社)、「科学者とは何か」(新潮選書)、「20世紀の日本9 医療--高齢社会に向かって」(読売新聞社)など著書多数 。

 

キーワード
「高齢社会」

--高齢社会において医療はどのように変化するのでしょうか。

高齢者人口の総人口に対する比率は1950年に5%だったのが、わずか40年で12%に急増しています。これは、主要死亡原因の感染症から成人病への移行と同時に進行しているわけですが、医療がこれらの変化をもたらしたのと同時に、これらの変化が医療にもたらした影響もかなりあります。成人病では患者は一生その病気を抱えていかなければならず、医療は、患者が病気と共に生きるのを援助し、QOLの向上を目指していくことになります。よく言われる「キュアからケアへの変化」は必然的であり、われわれは医療が「援助サービス」であることを認識するべきだと思います。

--医療従事者と患者の関係はどうあるべきでしょうか。

これからの医療では「患者が主役」であり、医療従事者は、患者にsympathyを持つことが重要です。sympathyというのは、もともと「痛みの共有」という意味で、患者が何を感じているのか理解する、共感するということです。患者は、自分が何を感じているのか、嬉しいのか悲しいのか、痛いのか、苦しいのか、といったことを率直に言わない、あるいは言えないことが多いので、医療従事者は患者の言うことの背景を読み取る必要があります。そのためにはコンサルタント技術も必要であり、医学教育でも取り扱うべきです。もちろん、患者の側も変わるべきです。言いたいことははっきり言い、医師の言うことを理解する努力も必要です。
また、医者は統計的知識をもとに、「あなたの病気は今までに○○例の症例がある疾患で、5年生存率は○○%で、治療法は○○がいいとされています」といった説明をしがちですが、患者にとってはあくまでも「自分は自分」であるわけで、医者は患者一人一人がuniqueであるということをもっと理解するべきです。治療にあたっても、決まった治療をすればいいと考えるのではなく、どの患者に対するときも、初めての症例を扱っているような意識が必要です。薬の「成人投与量」をそのまま老人に投与したらかえって悪化するような場合だってあるわけで、患者一人一人にあった治療法を考えなければいけません。

--医学教育はどうあるべきでしょうか。

医学生はearly exposureとして早くから医療現場に接するべきです。ただ、「医療のヒエラルキーのトップである医師」になるという意識で医療現場に出るのではなく、単なる学生として現場の雑役を経験することが必要です。あるいは、ロールプレイで患者になってみるというのもいい方法だと思います。とにかく、患者とはどういうものか、というのがわからなければ医者とは言えません。
また、高齢社会においては、多くの人が成人病を抱えて生きることになるわけで、私たちすべてが「患者候補者」であるといえます。このような社会では、よき患者を育てるための「患者教育」も重要であり、そのために、医学生に限らずすべての大学生が教養課程で医療機関の雑役を行うような制度を作るのがいいと思っています。

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