<2-7-2> 鉄門だより(514)1996年7・8月号
21世紀の「医」を考える 第1回「学問の枠をこえて」
 

多田富雄氏インタビュー「個別性への回帰」

多田富雄氏
昭和9年生まれ、昭和34年千葉大学医学部卒業。千葉大学医学部教授を経て、昭和52年より東京大学医学部教授。平成6年に退官し、現在東京大学名誉教授、東京理科大学生命科学研究所所長。専攻は免疫学。昭和59年文化功労者、平成5年「免疫の意味論」(青土社)で大佛次郎賞受賞。

  キーワード
「個別性への回帰」

---個別性とは具体的にどういうことでしょうか。

医学・医療技術の発達によって、普遍性についての理解が進みました。医療現場では検査数値での診断が行われ、普遍性をベースにした合理的な治療が行われるようになってきています。でも、患者はあくまでも「個人」であるという視点を欠いてはなりません。個別性をきちんと把握し、個別性に対応した医療を行っていくことが今後ますます必要になってくると思います。私のやってきた免疫学とは、まさに「個別性」を調べる学問で、そこから学ぶことはいろいろありました。

---先生は能の鼓を打たれたり、新作能をお作りになったりしていらっしゃいますが、先生の研究生活において能はどのような意味を持っていたのでしょうか。

お能をやることで、全く別の立場からサイエンスを見る機会が得られたと思います。お能というのは「死者」の眼で現実を見るという視点なのです。「死者」は、もうすべてが終わっているのだから、全体を見渡すことができます。お能をやることで、全体を見る目を養うことができたように思います。現代の問題に取り組むためには「全体を見る目」というのはとても大切です。たとえば、「死」の問題ですが、尊厳死にしても脳死にしても「死」の概念がファジーになっていますね。ことに、人の生死に関して科学的な診断基準が確立されているわけではないので、現場で部分だけを扱った立場からだけでは普遍的な判断基準は生まれないと思います。全体を見渡す目を持った上で、個別性に対応する必要があるわけです。能から学ぶことは多いですよ。

--先生は文系・理系といった枠を越えて活躍されていますよね。

私にとっては文科も理科も違いはないんですよ。演劇の台本を書くのも、免疫の論文を書くのも、基本的には同じやり方です。どちらも、この事実を記載することによって「どのように人を感動させるか」ということを考えているわけですから。人から「いろんなことをやっていてよく頭が混乱しませんね」と言われることがありますが、私は頭の切り換えなどしていません。同じことを自然にやっているだけです。

--先生の著書に「免疫の意味論」というのがありますが、科学に意味論を持ち込んでの考察は大変興味深いものでした。近代自然科学においては「主観」や「目的」や「意味」を追求することはあまり好まれていないという風潮があると思うのですが、それについてどう思われますか。

今の自然科学には確かにそういう風潮がありますが、現象の背後にある「意味」を読み取ろうとしないのは間違っていると思います。なんでも部分現象に還元してそれで終わりというのはサイエンスの怠慢です。特に、「人間」について「意味なし」で考えるのは大きな誤りです。生命を形作っている「意味」を読み取り、人間存在を理解しようとすることも重要なことです。

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