■ソレイユ会報誌「ひまわり」2003年1月号(No. 90)
今後日本で承認されるかもしれない乳がんのクスリ

 

<乳がんの薬物治療>
  乳がんは全身病と言われ、生存を第一に考えるのであれば、手術や放射線治療などの局所治療よりも、全身治療である薬物治療の方が重要な意味を持ちます。局所治療は、生存に影響しない限りにおいて、できるだけ縮小すべきであり、その考えが乳房温存術の普及につながりました。今後、美容面、機能面を最大限重視した局所治療と、エビデンスに基づく適切な全身治療のあり方が追求されていくべきだと思います。
  薬物治療は、(1)「術前治療」、(2)「術後治療」、(3)「転移性乳がんに対する治療」、のそれぞれの場面において、重要な役割を果たしています。(1)と(2)は、「補助療法」と呼ばれ、局所治療だけでは制御できない遠隔転移の芽を摘み取り、今後、乳がんの再発を経験することなく一生を送れること(根治)を目指します。専門的な言い方で言うと、生存率や無再発生存率を上げるための治療です。(1) 「術前治療」では、縮小手術の可能性を広げられること、化学療法への反応を確かめられること、予後を予測できること、などの利点もあります。(3)「転移性乳がんに対する治療」においては、体全体に広がった病気の勢いを局所治療だけで制御することはできませんので、治療の主体は、薬物治療となります。適切な薬物治療で、「がんとうまく長くつきあう」ことを目指します。
  現在、薬物治療として、乳がんに標準的に用いられているものは、「抗がん剤治療」「ホルモン療法」「分子標的治療」「ビスフォスフォネート治療」です。
「抗がん剤治療」としては、CMF療法(エンドキサン、メソトレキセート、5FU)、アントラサイクリン系抗がん剤(アドリアマイシン、エピルビシン)を含むメニュー(AC、CAF、CEFなど)、タキサン系抗がん剤(パクリタキセル、ドセタキセル)、フッ化ピリミジン系経口抗がん剤(カペシタビン)があります。
「ホルモン療法」としては、Gn-RHアナログ(ゴセレリン、リュープロレリン)、抗エストロゲン剤(タモキシフェン、トレミフェン、フルベストラント)、アロマターゼ阻害剤(アナストロゾール、レトロゾール、エキセメスタン)、プロゲステロン剤(メドロキシプロゲステロン)があります。
「分子標的治療」は、近年注目を集めていますが、乳がんに対して有効性の認められている分子標的薬は、トラスツズマブ(商品名ハーセプチン)のみです。他の分子標的薬で乳がんでの有効性が期待できるものは、現時点では現れていません。
「ビスフォスフォネート治療」は、乳がんの骨転移に対して用いられる治療で、クロドロネート、パミドロネート、アレンドロネート、インカドロネート、イバンドロネート、ゾレドロネートなどがあります。
  乳がんに対する新薬の臨床試験は、まず、転移性乳がんに対して行われます。第I相試験では、安全性を評価し、安全に投与できる最大用量を調べます。第II相試験では、腫瘍縮小効果や副作用などを調べます。第III相試験では、主に生存について、現時点での標準治療との比較を行い、有効性を調べます。転移性乳がんに対する有効性が認められた薬剤については、術前治療や術後治療での有効性を調べる臨床試験も行われます。新薬は次から次へと開発されていますが、基礎実験で有望とされたものでも、大部分は、臨床試験の過程で姿を消していき、第III相試験で有効性が証明されるのは、ごく一握りです。
  最近、第III相試験で有効性が証明され、日本でも承認されたものとしては、トラスツズマブ、アナストロゾール、エキセメスタンがあり、これらの薬剤については、現在、術後治療としての有効性を確かめる臨床試験も進行中です。第III相試験で有効性が証明されていながら、日本で承認されていないものとしては、カペシタビン、レトロゾール、フルベストラントがあります。また、ビスフォスフォネートは、乳がんの骨転移に対する有効性が示されていますが、日本では、骨転移に対する治療薬としては承認されていません。現時点では標準治療とは言えませんが、第II相試験で有望な結果が示され、第III相試験が進められている抗がん剤に、ビノレルビンがあります。日本では、非小細胞肺癌に対する治療薬としてのみ用いられています。

<今後承認されるかもしれない薬>
  以下、2002年12月現在日本で未承認の乳がん治療薬について説明します。いつ承認されるかといった情報については、公式な発表はされておらず、私も全く知りません。ずっと承認されることはないかもしれません。そのような薬について説明して、「こんないい薬があるのに使えないとは不幸だ」というように皆さんを悲しくさせてしまうのは本意ではありません。この原稿執筆を依頼されて以来、とても気が重く感じていた点です。それぞれの薬について、エビデンスに基づいて正確な情報をお伝えするよう心がけましたが、理解していただきたいのは、薬物治療は、がん医療全体のごく一部にしかすぎないということ、そして、薬のあるなしで人間の幸不幸が決まるわけではないということです。この点については、後半で論じたいと思います。また、「日本の新薬承認は遅すぎる。日本は医療後進国だ」といった声も聞きますが、本当に日本の承認が遅いのか、承認は速ければ速いほどいいのか、今後の新薬の臨床試験はいかにあるべきか、という点についても私見を述べたいと思います。

1、カペシタビン
  カペシタビン(商品名ゼローダ)は、フッ化ピリミジン系の経口抗がん剤で、点滴で用いる5-FUや日本でよく使われてきた経口のフルツロンなどと同じ系統です。カペシタビンを内服すると、腸管から吸収され、肝臓で5’-DFCRに変化し、血液に乗って全身をめぐり、到達した組織で5’-DFUR(フルツロン)に変化します(一部は肝臓で5’-DFURまで変化します)。さらに、組織内の酵素dThdPaseで、5’-DFURから5-FUに変化し、抗腫瘍効果を発揮します。dThdPaseは、特にがんの組織に多く存在するため、がん以外の組織への影響は小さく、がん組織に効率よく5-FUを到達させることができます。
  アントラサイクリン系抗がん剤による治療歴のある進行乳がん(主に転移性乳がん)に対して、ドセタキセル単独治療とドセタキセル+カペシタビン併用療法の比較をした第III相試験では、奏効率(腫瘍縮小効果が得られた割合)が30%対42%(P=0.006)、腫瘍増大までの期間の中央値が4.2ヶ月対6.1ヶ月(P=0.0001)、生存期間中央値が11.5ヶ月対14.5ヶ月(P=0.0126)と、いずれも有意にカペシタビン併用群の方が優れていました1)。これまで、転移性乳がんに対する抗がん剤治療で生存に有意差がみられた第III相試験はあまりなく、画期的な結果と言えます。
  カペシタビンを単独で用いる方法についても臨床試験が行われています。代表的な第II相試験が二つあり、いずれも、タキサン系抗がん剤を含む2〜3種類の抗がん剤治療を受けたことがある転移性乳がんを対象にしています。アントラサイクリン系抗がん剤も大部分の患者さんが使っており、転移性乳がんに対する二つの代表的な薬剤が効かなくなった患者さんに対してカペシタビンを用いたことになります。奏効率は20〜26%、腫瘍増大までの期間の中央値は3.0〜3.2ヶ月、生存期間中央値は12.2〜12.8ヶ月で、第3ラインの抗がん剤治療として有望と考えられます2, 3)。
  アントラサイクリン系抗がん剤による治療歴のある転移性乳がんに対する第2ラインの抗がん剤治療としてカペシタビン単独治療を用いた第II相試験では、奏効率は36%、腫瘍増大までの期間の中央値は3.0ヶ月、生存期間中央値は7.6ヶ月で、対象群として比較されたパクリタキセル単独治療と遜色のない結果でした4)。また、抗がん剤治療歴のない55歳以上の転移性乳がんに対する第1ラインの抗がん剤治療としてカペシタビン単独治療を用いた第II相試験では、奏効率は30%、腫瘍増大までの期間の中央値は4.1ヶ月、生存期間中央値は19.6ヶ月で、対象群として比較されたCMF療法と同等以上の結果でした5)。カペシタビン単独治療は、転移性乳がんに対する第1ラインまたは第2ラインの抗がん剤治療としても有望ということになります。
  副作用は、手足症候群(手のひらや足の裏が赤くなったり、ただれたり、痛くなったりする)、下痢、倦怠感、悪心・嘔吐、口内炎などがあります。20%前後の方には、グレード3以上の手足症候群が出現し、減量または治療中止を必要とします。パクリタキセルやCMF療法群でみられた脱毛、骨髄抑制、末梢神経障害は、カペシタビン群ではあまりみられませんでしたが、抗がん剤である以上、注意を要するのは言うまでもありません。
  米国FDA(食品医薬品局)は、アントラサイクリン系治療歴のある転移性乳がんに対するドセタキセルとの併用療法、および、アントラサイクリン系とタキサン系抗がん剤治療歴のある転移性乳がんに対する単独治療としてカペシタビンを承認しています。今後、術後補助療法としての使用や、他の薬剤との併用についても検討されるものと思われます。

2、レトロゾール
  レトロゾール(商品名フェマーラ)は、2000年12月に承認されたアナストロゾール(商品名アリミデックス)、2002年7月に承認されたエキセメスタン(商品名アロマシン)と同じく、経口の第3世代アロマターゼ阻害薬です。エキセメスタンがステロイド系・非可逆性であるのに対し、レトロゾールとアナストロゾールは非ステロイド系・可逆性ですが、臨床的にどのような違いがあるかは明確になっていません。
  3剤とも、閉経後転移性乳がんに対するタモキシフェン後の第2ラインホルモン療法として、それまで第2ラインで用いられていたプロゲステロン剤よりも生存期間や、腫瘍増大までの期間を延長させることが第III相試験で証明されています6-8)。また、閉経後転移性乳がんに対する第1ラインホルモン療法として、タモキシフェンとの比較も行われています。アナストロゾールとタモキシフェンの比較では、2つの大規模な第III相試験が北米とヨーロッパで行われ、腫瘍増大までの期間の中央値は、11.1ヶ月対5.6ヶ月(北米)、8.2ヶ月対8.3ヶ月(ヨーロッパ)でした9, 10)。ヨーロッパの方では、有意差がありませんが、ホルモンレセプター陽性が確認されていたのが45%だけだったためと考えられ、ホルモン受容体陽性の方について、2つの臨床試験の結果をあわせてみると、10.7ヶ月対6.4ヶ月(p=0.022)と有意にアナストロゾールの方が優れていました。レトロゾールとタモキシフェンを比較する第III相試験では、ホルモンレセプター受容体陽性の方について、腫瘍増大までの期間の中央値は、9.7ヶ月対6.0ヶ月 (p=0.0001)と、有意にレトロゾールで優れていました11)。エキセメスタンについても、第II相試験でタモキシフェンより優れた傾向が示されており、現在、第III相試験が進行中です12)。
  閉経後転移性乳がんの患者さんで、ホルモンレセプターが陽性であれば、術後補助療法でタモキシフェンを用いていても用いていなくても、第1選択の治療薬はアロマターゼ阻害薬ということになります。第3世代アロマターゼ阻害薬3剤のうち、どれが優れているかは、直接比較がされていないので、現時点では誰にもわかりません。アナストロゾールとエキセメスタンがすでに承認され使われているわけですので、レトロゾールの承認は、製薬会社にとっては重大事でも、臨床現場に与える影響はあまり大きくないと思われます。なお、エキセメスタンについては、アナストロゾールやレトロゾール治療に耐性となったあとに用いた場合でも、4.8%の奏効率が認められています13)。
  閉経後早期乳がんに対する術後補助療法としてアロマターゼ阻害薬を用いる臨床試験も進行中で、結果が注目されています。中でも、閉経後乳がんの9366人を対象にした大規模臨床試験ATACは、2001年12月の国際学会での中間解析が大ニュースとして伝えられました。ATACは、ホルモン受容体陽性の術後補助療法として標準とされるタモキシフェン単独と、アナストロゾール単独、または、タモキシフェン+アナストロゾール併用を比較したもので、平均観察期間2年9ヶ月の時点での中間解析で、アナストロゾール単独が、タモキシフェン単独よりも有意に再発を抑制し、副作用も軽い傾向がみられました(タモキシフェン+アナストロゾール併用は、タモキシフェン単独とほぼ同じ結果で、併用の意義は否定されました)14)。近い将来、アロマターゼ阻害薬が術後補助療法として標準的に用いられるようになる可能性が高いと思われますが、米国臨床腫瘍学会(ASCO)の専門家会議では、この中間解析の結果で結論を出すのは早すぎる、ということで、現時点での標準治療はタモキシフェンであるとの見解を出しています15)。2002年12月の国際学会では、平均観察期間4年弱での解析が発表され、4年無再発生存率は、アナストロゾール86.9%対タモキシフェン84.5%(ホルモン受容体陽性に限れば89.0%対86.1%)となっていました16)。差は着実に広がっており、臨床医の判断も少しずつ変わってきているようです。
  アロマターゼ阻害薬は、現在、閉経後乳がんに対して最も注目されている薬剤の一つです。副作用については、タモキシフェンやプロゲステロンよりも軽い傾向がみられていますが、長期使用で骨粗鬆症が進行する可能性も示唆されており、今後出される長期経過観察の報告に注意が必要です。
  レトロゾールが承認されたとして、その位置づけがどうなるかは未知数ですが、現在進行中の臨床試験の結果を見ながら、適切な使い方をしていく必要があるでしょう。

3、フルベストラント
  フルベストラント(商品名ファスロデックス)は、月一回筋肉注射で投与する新しいタイプの抗エストロゲン剤で、米国FDAは、他の抗エストロゲン剤治療後に進行したホルモン受容体陽性・閉経後の転移性乳がんに対する治療薬として、2002年4月に承認しました。抗エストロゲン剤は、腫瘍細胞のエストロゲン受容体に結合し、エストロゲンが作用するのをブロックします(アンタゴニスト作用)が、タモキシフェンやトレミフェンなど従来の抗エストロゲン剤は、子宮内膜などの正常組織に対して、エストロゲンと同じように働く場合があることが知られています(アゴニスト作用と言います)。フルベストラントは、そういったアゴニスト作用が一切ない「純粋な抗エストロゲン剤」です。エストロゲン受容体の数を減らす作用があることも知られています。
  FDAが承認の根拠としたのは、北米とヨーロッパで行われた2つの第III相試験です。主にタモキシフェンによるホルモン療法治療歴のある閉経後転移性乳がん患者851人がこの2つの臨床試験に参加し、アナストロゾール群とフルベストラント群に振り分けられました。奏効率は北米で17%対17%、ヨーロッパで20%対15%、腫瘍増大までの期間の中央値は、北米で5.5ヶ月対3.5ヶ月、ヨーロッパで5.5ヶ月対5.2ヶ月(いずれもアナストロゾール群対フルベストラント群)で、有意差は認めず、フルベストラントが第2ラインのホルモン療法として、アナストロゾールと同等の効果を有することが示されました17, 18)。
  今後、従来の抗エストロゲン剤、アロマターゼ阻害薬、プロゲステロン剤に加えて、標準的なホルモン療法として新たなラインナップが加わることになると思われます。

4、ビノレルビン
  ビノレルビン(商品名ナベルビン)は、すでに、非小細胞肺癌に対する治療薬として承認されている点滴抗がん剤です。タキサン系抗がん剤と同じ頃に開発された、いわゆる「新規抗がん剤」の一つで、これまでも、第II相試験で用いられることがありましたが、アントラサイクリン系やタキサン系の牙城を揺るがすほどの勢いはなく、大規模な第III相試験での比較は行われてきませんでした。ゲムシタビンやイリノテカンなど、他の新規抗がん剤も同様の状況にあります。そんな中、ビノレルビンがにわかに注目を集めるようになったのは、転移性乳がんに対するビノレルビン+トラスツズマブ併用療法の第II相試験の結果が報告されたのがきっかけでした。この臨床試験では、HER2陽性(2+または3+)転移性乳がんの40人に対してビノレルビン+トラスツズマブ併用療法を行った結果、奏効率は75%で、アントラサイクリン系やタキサン系抗がん剤治療歴のある患者さんでも高い効果が認められました19)。また、HER2陽性転移性乳がんに対する第1ライン治療としてビノレルビン+トラスツズマブ併用療法を行った第II相試験の結果も報告され、やはり、78%という高い奏効率が示されています20)。
  現在、欧米で、HER2陽性転移性乳がんに対し、タキサン系抗がん剤(パクリタキセルまたはドセタキセル毎週投与法)+トラスツズマブ併用群と、ビノレルビン+トラスツズマブ併用群を比較する第III相試験が進行中です。アントラサイクリン系とタキサン系抗がん剤治療歴のある転移性乳がんに対し、カペシタビン単独治療群とビノレルビン単独治療群を比較するEORTCの第II/III相試験も進行中で、これらの結果次第で、ビノレルビンの位置づけがある程度決まると思われます。経口のビノレルビンの臨床試験も行われているようですが、日本にはまだ登場していません。
  ビノレルビンの副作用で一番問題となるのは、骨髄抑制(特に白血球減少)です。抗がん剤ですので、他にも様々な副作用が起こり得ます。用量や併用薬によっても異なりますので、実際に用いるような場面では、主治医から十分に説明を受ける必要があります。

5、ビスフォスフォネート
  日本では、悪性腫瘍による高カルシウム血症に対する治療薬として、パミドロネート(商品名アレディア)、アレンドロネート(商品名テイロック、オンクラスト)、インカドロネート(商品名ビスフォナール)(いずれも点滴薬)が承認されていますが、骨転移に対する治療薬としては承認されていません。海外の臨床試験を見ると、乳がんの骨転移に対して、経口のクロドロネートが、プラセボ(偽薬)よりも、骨転移に伴う背骨の骨折などの合併症を減少させることが示されています21)。また、点滴のパミドロネート(90mgを4週間ごと投与)をプラセボと比べた2つの無作為化比較試験では、パミドロネート群で有意に骨の合併症(背骨の骨折、背骨以外の骨折、放射線治療や外科的手術を必要とする状況、高カルシウム血症など)を減らし、それらの合併症が起こるまでの期間を長くし、骨の痛みを改善させています22, 23)。パミドロネート45mg3週ごと投与とプラセボを比較した臨床試験では、骨転移腫瘍増大までの期間を有意に長くし、骨痛の改善がみられる割合を有意に多くしましたが、骨合併症を起こす割合は改善しませんでした24)。いずれの臨床試験でも、日常生活に影響するような副作用はほとんどありませんでした。ビスフォスフォネートの目的は、(1) 骨転移の進行抑制、(2)骨折などの骨合併症抑制、(3)痛みの緩和、(4)高カルシウム血症の改善、ということになります。生存期間を延長させる効果は示されていません。ASCOでは、乳がん骨転移に対するビスフォスフォネート治療のガイドラインを発表し、骨のX線写真で溶骨性骨転移が明らかな場合に、パミドロネート90mgの3〜4週間ごと投与を推奨しています25)。日本での高カルシウム血症に対するパミドロネートの1回最大投与量は45mgで、ここにも保険適応の壁があります。
  最近は、パミドロネート(エチドロネートに対する効力比約100)よりも効力の高い第3世代のビスフォスフォネートが登場しており、臨床試験が行われています。現時点で最大の効力を有するのはゾレドロネート(商品名ゾメタ、効力比約10万)で、骨転移を有する乳がん患者1130人と多発性骨髄腫患者518人を対象に、ゾレドロネートとパミドロネートを比較した第III相試験では、乳がん患者について、ゾレドロネートの方が有意に骨合併症を減らすことが示されています26)。ゾレドロネートの点滴は15分で可能であり、1時間以上要するパミドロネートよりも手軽に治療が受けられます。
  ビスフォスフォネートは、骨粗鬆症治療薬としても用いられます。日本でも、エチドロネート(商品名ダイドロネル)、アレンドロネート(商品名フォサマック、ボナロン)、リセドロネート(商品名ベネット、アクトネル)などの経口ビスフォスフォネートが、骨粗鬆症に対して承認されています。閉経前の患者さんに対する抗がん剤治療やGn-RHアナログ治療、閉経後の患者さんに対するアロマターゼ阻害薬治療で、血中エストロゲン濃度減少がもたらされると、骨粗鬆症が進行しやすくなるため、その予防のために、経口ビスフォスフォネートを用いることも検討されています。
  また、早期乳がん術後の補助療法として、ビスフォスフォネートを用いる臨床試験も行われています。術後にクロドロネートを内服する群と内服しない群の比較を行った3つの無作為化比較試験の結果が報告されていますが、その結果はバラバラです。1つ目の臨床試験では、クロドロネートを内服した方が、骨転移も骨以外の転移も有意に少なく、生存率も有意に向上しています27)。2つ目の臨床試験では、クロドロネートを内服した方が骨転移の少ない傾向があり、生存については有意に改善がみられています28)。ところが、3つ目の臨床試験では、クロドロネートを内服しても骨転移は減らず、むしろ、骨以外の転移を有意に増加させ、5年生存率は70%対83%と、クロドロネート内服群の方が有意に低くなっています29)。現在、ゾレドロネートなど新しいビスフォスフォネートを術後補助療法に用いた臨床試験も行われており、ビスフォスフォネートの術後補助療法での意義については、今後、慎重に検討する必要があると思われます。
  ビスフォスフォネートの副作用としては、点滴当日か翌日に短時間の発熱が起こることがありますが、日常生活に支障がでるような副作用が起きることはあまりありません。

<薬がすべてではない>
  以上、日本での未承認薬について、乳がん治療におけるエビデンスを解説しました。難しい表現になってしまった部分もありますが、どのような位置づけで、どの程度の効果が期待されるのかについて、だいたいはご理解いただけたのではないかと思います。
  ここで説明した薬のうちいくつかは、今年中に承認されると思われますが、その確証はありません。いつ承認されるかというウワサはいろいろと飛び交っていますが、そういう情報に一喜一憂するのは、精神衛生上いいこととは言えません。現在、自己輸入でこれらの薬を用いている方には、経済面で切実な問題でしょうが、そうでない方は、あせることなく、気長に情勢を見守っていただければ、と思います。
  日本で乳がんの治療を受けるのであれば、日本で承認されている薬剤で治療の組み立てをするのが原則であり、乳がん治療薬の豊富なラインナップを考えれば、十分に余裕を持った組み立てが可能です。薬があるかないかで、運命を左右するようなことはありません。
  新薬の情報を集めるよりも、もっと重要なのは、大きい視点で、治療目標をきちんと持つことです。治療目標を明確にしないまま、「薬があるからそれを使う」という考えで、目に留まった薬に飛びつき、漫然と治療を続けるのでは、いったい何のための治療なのかわからなくなってしまいます。それは、いわば「治療のための治療」であって、治療をしているという実感と副作用の苦しみ以外には何ももたらしません。「効果」というのは、「治療目標に近づくこと」ですから、治療目標が明確になっていなければ、何をもって「効果」とするのかも明確ではなく、漠然と「効果」のようなものを得ようとしても、それは、しみじみと実感できる幸福にはつながらないと思います。
  私の考える治療目標とは、「がんとうまく長くつきあう」ことであり、その先には、患者さん一人一人が考える、それぞれの幸福があります。病気や治療による余計な苦しみを味わうことなく、できるだけ長く充実した時間を過ごしていただけるように、さりげなくサポートするのが医療の役割であり、薬物治療も必要に応じてその役割を担うことになります。
  薬は、医療の一部であってすべてではありません。また、がんと向き合うことは、これからの人生の一部であって、すべてではありません。薬の有無が運命を決めるというように、人生のすべてを集約させて考えるのは生産的なこととは言えません。大きい視野で人生を眺め、そこから治療目標を考えて主治医と共有し、その治療目標に近づくためにもっとも適した治療方針をエビデンスに基づいて検討し、必要に応じて薬を選択する、という順番で考えた方が、より生産的ですし、冷静に医療を受けられるのではないかと思います。
  薬がなければ不幸で不安で絶望的、薬があればそれだけで幸福で安心で希望が持てる、という誤ったイメージが先行し、薬の情報に煽られる形で治療方針が決められてしまうと、過剰治療への歯止めがなくなり、「がんとうまく長くつきあう」という目標に逆行することにもなりかねません。
  もちろん、期待の持てる新薬が登場するというのは、治療法の選択肢が広がるという意味で喜ばしいことです。治療目標にぴったりと適った治療薬があれば、それによって幸せを得ることもできるでしょう。ただし、そういう使い方をするためには、治療前の慎重なエビデンスの検討と、治療開始後の綿密な効果・副作用評価が欠かせません。新薬は、どうしても、「夢の薬」のように受け止められますが、どんな薬でも、効果には限界があり、かつ、それなりの副作用があります。特にがん治療の場合、治療によって得られる利益(効果)と不利益(副作用)のバランスは微妙であり、不利益のことを考えずに、利益だけを期待して治療に飛びつくのは危険です。エビデンスを吟味し、利益が不利益を上回る可能性が高いと判断された治療のみを行うべきであり、治療開始後も、その治療が本当に目標に近づくのに役立っているのかを常に考えながら治療に取り組むことが重要です。
  新薬への期待に水を差すようなことを書き連ねてしまい、不快に思われた方も多いと思いますが、あえて、私の率直な意見を書かせていただきました。

<イレッサ・サリドマイドについて>
  最近、マスコミで話題となっている薬に、ゲフィチニブ(商品名イレッサ)とサリドマイドがあります。
  非小細胞肺癌に対する分子標的薬として、2002年7月、世界に先駆けて日本で承認されたイレッサは、当初、「副作用なく効果が期待できる夢の薬」として紹介され、発売から約4カ月で約1万7千人の患者さんに処方されました。ところが、間質性肺炎などの副作用による死亡例(2002年12月4日の発表で、イレッサ服用と死亡との関連が否定できないケースが81例)が報告されると、一転、「悪魔の薬」に格下げになってしまいました。81名が亡くなったという事実は、厳粛に受け止めなければいけませんが、マスコミのセンセーショナリズムに基づく両極端な報道姿勢は、正確さを欠いているように思います。利益(効果)だけをクローズアップして過剰な期待を煽った当初の報道も問題ですし、危険性(副作用)だけをクローズアップして過剰な不安を煽った発売後の報道も問題です。審査報告書をみれば、すでに承認審査の段階で、致死的な間質性肺炎が起こる可能性が検討されていることがわかります。ある程度の危険性があっても、それを上回る利益が期待できるということで承認されているわけです。がん治療は、そういう微妙な危険性と利益のバランスの上に成り立っています。利益だけを伝えたり、危険性だけを伝えたりするのは、エビデンスに基づく報道とは言えません。1万7000人中の81人というのは約0.5%です。肺癌の標準的な抗がん剤治療で、副作用によって死亡する割合は約2%ですので、非常にドライな見方をすれば、抗がん剤に比べるとまだ「安全」だということになります。その危険性の程度を理解し、かつ、「 進行非小細胞肺癌患者の約20%に腫瘍縮小効果をもたらし、それを上回る方に症状改善効果をもたらす」という利益の程度(限界)を理解して、それが治療目標に適ったものかどうかを慎重に判断することが重要です。マスコミには、個々の患者さんが冷静に判断するのに役立つような、エビデンスに基づく正確な情報を伝える役割があるはずですが、残念なことに、今のマスコミは、衝撃的な表現で、過剰な期待や不安だけを売りつけています。マスコミ関係者には、患者さんの利益につながる報道のあり方について、もっともっと真剣に考えていただきたいと思います。
  乳がんにおいては、カペシタビンへの期待が高まり、多くの患者さんが承認を待ち望んでいます。この状況でカペシタビンが承認されると、一気に多くの患者さんに処方され、少ない頻度の副作用でも、実数にするとそれなりの数になることが予想されます。副作用死が相次げば、またマスコミがセンセーショナルに取り上げ、イレッサの二の舞いとなる可能性があります。皆さんには、冷静な行動をされることをお願いしたいと思います。
 なお、イレッサは、処方できる医師を限り、最初の処方は入院下で行うように制限するようです。副作用死が疑われる事例の中には、全身状態の悪い患者さんに投与されていたケースが多く含まれており(全身状態不良例でのイレッサの有効性・安全性は示されていません)、また、治療開始後の経過観察が不十分であった例も多いようです。イレッサの化学療法や放射線治療との併用、化学療法未治療例への使用、術後補助療法としての使用についても、有効性を示す根拠はなく、実地医療(臨床試験以外で普通に行われる医療)で行うことは原則として許容されません。後述する乳がんへの使用例は論外としても、エビデンスの確立していない適応外使用が少なからずあったのではないかと推測されており、残念なことですが、処方できる医師を制限する必要性が生じたわけです。安全性を確保するためには、患者さんの恐怖や不安を煽るのではなく、そういった適応外使用の現状を追及し、適正な使用を呼びかける方が重要ではないかと思います。イレッサは、ごく一部に重篤な副作用を生じるのは事実ですが、 適応症例の大部分には安全に使える薬であり、延命効果は示されていないものの、一定の割合の患者さんに症状緩和効果をもたらすことができます。夢の薬というわけでもありませんが、悪魔の薬と断じるのも適切ではありません。
  トラスツズマブ(ハーセプチン)は、HER2陽性の転移性乳がんに対する治療薬として2001年4月に承認されましたが、当初、使用できる施設が制限され、適応外使用がないように厳密に監視されていました。イレッサのような状況にならなかったのは、この方法が功を奏したとも考えられます。カペシタビンについても、同じ方法が検討されているようです。
  イレッサ承認に関わった審査官は、承認に際して、「イレッサがどのように使われるかが今後のがん医療の試金石になるだろう」と言っていましたが、結局、「医師の裁量に任せるのは危険」という教訓になってしまいました。今後の新薬承認にも影響を与えるのは必至です。適正使用への意識を高めるきっかけとなってくれればいいのですが、適正な薬の供給までにも制限がかけられてしまうのは、望ましいこととは言えません。
  イレッサと同じように、マスコミによく登場している薬に、サリドマイドがあります。サリドマイドは、40年ほど前、妊娠初期の妊婦が内服した場合に胎児に四肢障害が生じるという薬害を引き起こした睡眠薬です。1990年代になって、その血管新生阻害作用が注目されるようになり、悪性腫瘍での効果をみる臨床試験が行われました。大量化学療法などの前治療歴を有する多発性骨髄腫の患者84人に対してサリドマイドを単独で用いた第II相試験では、32%の患者さんで、血液中または尿中の異常タンパク質が25%以上減少し、サリドマイドの効果ありと判断されました30)。現在、第III相試験でその有効性が調べられています。日本では、1962年に承認が取り消されて以来、承認申請はなされていませんが、現在、1300人以上の患者がサリドマイドを個人輸入して使用しているという事実が報道されています。厚生労働省は、安全性を確保するためにも、正式な承認手続で薬事法の規制下に置きたいと考えており、国内の製薬会社にサリドマイド製造、承認申請、治験実施を打診しています。多発性骨髄腫の患者団体からは早期承認を求める要望書が出される一方、薬害被害者からは懸念の声が上がっています。製薬企業は、薬害のイメージから製造販売には及び腰です。夢の薬か、悪魔の薬か、両極端の論調が入り乱れる中、患者さんの間で期待と不安だけが増幅しているのが現状です。
  このように、イレッサやサリドマイドは、とても微妙な状況に置かれています。進行非小細胞肺癌や多発性骨髄腫の患者さんにとっては、落ち着かない日々が続いていることと思いますが、やはり、治療目標を明確にしつつ、エビデンスに基づいて利益と危険性のバランスを評価するという姿勢が何よりも重要だと思います。
  慎重な対応が求められる中、信じられないような話を耳にしました。イレッサやサリドマイドが、乳がんの患者さんにも使われているというのです。臨床試験として計画され、患者さんの同意があれば、そういった治療も許容されるのですが、臨床試験ではない実地医療として処方されているようです。
  イレッサを乳がんに用いる臨床試験は、単剤またはトラスツズマブやホルモン療法との併用についての第II相試験がいくつか行われていますが、今のところ有望な結果は示されていません。
  サリドマイドを固形がんに用いる臨床試験も盛んに行われてきましたが、腎細胞がんと脳腫瘍でわずかに腫瘍縮小効果がみられた以外は、ほとんど期待の持てる結果は出ていません。前治療歴のある転移性乳がん患者28人に対してサリドマイドを投与した第II相臨床試験では、腫瘍縮小効果は全く見られず(奏効率0%)、副作用として、神経障害、傾眠、便秘、倦怠感、口渇、めまい、吐き気、食欲不振、不整脈、頭痛、皮疹、低血圧、好中球減少などがみられました31)。乳がんに対するサリドマイド治療の臨床試験は、事実上、打ち止めとなっています。
 このように、乳がんに対する効果を示す根拠がなく、時に重篤な副作用をもたらすことがわかっているイレッサやサリドマイドを、乳がんの患者さんに用いるというのは、実地医療ではけっして正当化されません。万が一、イレッサやサリドマイドの話が持ち出されるようなことがあれば、上記のことをご理解の上、適切に対応していただきたいと思います。臨床試験としての位置づけで治療が行われる可能性はありますが、これまでの臨床試験では効果が示されていないこと、危険性を伴う治療であることなどを含め、納得できるまで説明を受けた上で、臨床試験に参加するかどうかを判断する必要があります。臨床試験審査委員会(IRB)の審査・承認を得ていることも確認し、十分に納得できた場合にのみ、同意書にサインするようにしてください。
  十分な説明もせず、実地医療としてこれらの治療を行っているような医師は、刑事訴追の対象となるべきです。薬害を防ぎ、患者さんの安全を守るためにも、そして、本当に有効な薬が適切に使える医療環境を実現するためにも、そういった厳しい対応が必要だと思います。

<日本の新薬承認制度>
  日本の新薬承認は遅いと言われますが、本当にそうなのでしょうか。1990年から1997年6月までに申請された抗がん剤の新薬については、申請から承認までの期間の中央値が平均3年以上となっていますので、確かに遅かったと言えます。しかし、1997年7月以降の申請分については、それが約1年に短縮しており、これは、欧米と遜色ありません。この期間短縮をもたらしたのは、1997年の薬事法改正と厚生省(現厚生労働省)の組織再編です。このとき、透明性と専門性の高い審査を行うために、医薬品医療機器審査センター(略称「審査センター」)が設置され、質の高い治験を遂行するために、認可法人医薬品副作用被害救済・研究振興調査機構(略称「医薬品機構」)が設置されています。審査センターには、国立がんセンターなどから臨床経験の豊富な臨床医が「臨床医学審査官」として派遣され、審査の重要な部分を担っています。臨床医が加わることで、臨床現場の状況に即した専門性の高い審査が可能になりました。
具体的にどのような審査が行われ、承認まで至ったかについての情報は、インターネット上で公開されています(「新薬の承認に関する情報」http://www.pharmasys.gr.jp/)。一般向けの内容ではないとの注意書きがありますが、患者さんにとっても、自分の使っている薬がどのような過程を経て承認されたのかを知るのは有用ではないかと思います(ただし、情報を見てわかりにくかったり、かえって不安に感じてしまったりした点は、必ず主治医に確認するようにしてください)。審査過程がガラス張りになったのは、安全性を確保する意味でも、重要なことと言えます。
  日本の抗がん剤承認基準は特に厳しいというわけではありません。日本では、抗がん剤は、第II相試験でそれなりの腫瘍縮小効果がみられれば承認されます。欧米では、通常、第III相試験で生存に関する有効性が証明されなければ承認されません。つまり、臨床試験がきちんと行われていれば、むしろ、日本の方が抗がん剤の承認は早くなります。実際、フルツロンなど、欧米では用いられていない抗がん剤が、日本では承認されているケースがよくあります。イレッサが世界に先駆けて日本で承認されたのもそのためです。進行非小細胞肺癌に対するイレッサ単独治療の第II相試験で10〜20%の奏効率が示されたことを受けて、申請から5ヶ月のスピード承認となりました。標準的な抗がん剤治療にイレッサを併用するかしないかの比較を行った第III相試験の結果は、2002年10月に発表されましたが、イレッサを併用する意義は示されず、まだ欧米での承認には至っていません。
  今後、日本と欧米で臨床試験が同調して進められるようになれば、イレッサのようなケースは増えてくることと思われます。しかし、現状では、日本での臨床試験は欧米よりも遅れて進められる場合がほとんどです。そのようなとき、欧米でのデータを承認申請に用いることができれば、日本だけで承認が立ち遅れてしまうという状況は避けられます。海外データを用いるときのルールは、1998年に、日・米・EU医薬品規制調和国際会議(ICH; International Conference on Harmonization of Technical Requirements for Registration of Pharmaceuticals for Human Use)で決められました。「外国臨床データを受け入れる際に考慮すべき民族的要因についての指針」(ICH E5ガイドライン)として、日本でも公開されています。海外で行われた第II相試験や第III相試験があれば、日本人における効果や有効性と結びつけるための臨床試験(ブリッジング試験)を適切に行った上で、海外のデータを申請に用いることができます。アナストロゾールは、この方法を用いて申請され、承認されています。カペシタビンやレトロゾールの承認が遅くなっているのは、海外データを用いず、日本独自の臨床試験での申請がなされたためとも言われています。今後は、ますます海外データが有効に活用されていくものと思われます。
  医薬品の承認申請のために行われる臨床試験を「治験」と呼びますが、日本では治験を推進する環境が整っているとは言えず、それが新薬承認を遅らせている場合があります。申請から承認までの審査過程が遅いのではなく、承認申請がなされるのが遅いということです。日本で治験を行いにくい原因として、以下の4点が挙げられます。

(1) 製薬企業の意識:治験費用が高いため、儲からない新薬の治験には乗り気でない。
(2) 患者さんの意識:治験の意義が浸透していない。もともと国民皆保険でサポートされているため、経済的なメリットが小さい。
(3) 治験を実施する医師の意識:手間がかかるだけで、学問的評価にはつながらない。
(4) 治験実施体制の不備:臨床試験コーディネーター(CRC)が足りない。臨床試験実施基準(GCP)への対応が遅れている。

  この状況を打開するため、2002年7月に薬事法が改正され、「医師主導治験」が2003年度より実施可能となりました。2002年8月には、厚生労働省より「医薬品産業ビジョン」が示され、「医師主導治験の制度化」「大規模治験ネットワークの構築」「CRC増員」「治験の意義の普及啓発」「治験実施状況の情報提供」「臨床試験実施のための環境整備」などがその柱となっています。
  これまで、治験は、製薬企業が主体となって行っていましたが、これからは、医師が、臨床上の必要性に応じて、治験を計画・実施することが可能となります。企業の「儲かる・儲からない」の論理ではなく、患者さんの利益につながることを第一に考えた治験の実施と、本当に必要な医薬品の早期承認が期待されています。また、これをサポートするための「大規模治験ネットワーク」の構築も計画されています。
  未承認薬は、たとえエビデンスが確立していたとしても、個々の医師または患者の責任で輸入し使用するしか方法がなかったわけですが、これからは、医師主導治験という形で、安全性と倫理性を確保しながら使用する道が開かれることになります。医師主導治験が実際にどのように運用されるのか、未知数の面もありますが、承認の適正化・迅速化の1つの試みとして期待されます。

  行政改革の流れの中、2002年末の臨時国会で、「独立行政法人医薬品医療機器総合機構法」が成立し、2004年4月に、新薬の承認審査、安全対策、製薬産業の振興を担う独立行政法人が誕生することになりました。この組織は、審査センターと医薬品機構などを統合するもので、審査官を現在の210人から370人に増やし、承認のさらなる迅速化を目指すとのことです。増員の主な財源となるのは、新薬の承認申請時に製薬企業から徴収する手数料(ユーザーフィー)で、米国FDAの制度をならったものです(FDAでは1993年度からユーザーフィーを導入し、審査官を大幅増員して、承認期間を25ヶ月から12ヶ月に短縮させた実績があります)。しかし、この方法には批判もあります。製薬企業から受け取ったお金を使って審査をするわけですから、審査が企業寄りになってしまう可能性があります。この法人と製薬企業との人材の往来もそれなりにあるはずで、癒着の温床ともなりかねません。薬事行政の中核業務を国が主体に行うのではなく、独立法人に委ねてしまうことも批判されています。また、医薬品の安全対策と開発振興は、薬害エイズ事件を教訓に分離された経緯があり、今回、それを再び一元化することについて、薬害被害者などから懸念の声が出ています。
  有効性が示され、多くの患者さんに恩恵をもたらすような薬については、速やかに承認がなされるべきでしょう。しかし、承認の迅速化は、あくまでも患者さんのために必要なのであって、製薬企業のためではありません。製薬企業からの圧力で迅速化を急ぐあまり、安全性が軽視されるようなことがあってはなりません。利益と危険性を慎重に評価し、患者本位の審査が行われる必要があり、当然、その審査過程は情報公開されるべきでしょう。

<最後に>
  乳がんの未承認薬について具体的に紹介するとともに、薬の適切な利用の仕方、新薬承認のあり方についても書かせていただきました。曖昧な表現が多くて、わかりにくかったかもしれませんが、この薬はいい薬で、あの薬はダメな薬、というように簡単に割り切れるものではないという点はご理解いただけたかと思います。私の拙い文章を参考にして、皆さんなりに、薬との適切なつきあい方を考えていただければ幸いです。そして、わからないことがあれば、主治医とよく相談して、納得できる選択をするようにしてください。
  将来的には、患者さん主導の臨床試験が実現する日も来るかもしれません。ソレイユの皆様の益々のご活躍を期待しております。
 

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