第5回シンポジウム(2001年4月22日) |
「EBMからHBMへ、新しい医療の提案」 |
皆さんに考えていただきたいこと
医療はだれのものでしょうか?
医療は何に基づいて行われているのでしょうか?
医療は何のためにあるのでしょうか?
20世紀の医療は人間を幸福にしたでしょうか?
あなたは病院でしみじみと幸せを感じたことがありますか?
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21世紀医療の二つの柱
EBM (エビデンス・ベースド・メディシン:「科学的根拠」に基づく医療)
HBM (ヒューマン・ベースド・メディシン:「人間」に基づく医療)
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「人間」とは何か?
あなたとわたし、かけがえのない存在、命あるもの、いずれは死にゆく存在、生老病死をかかえ持つ存在
ゆたかで、どろどろとした感情(喜怒哀楽)、果てしない想像力と創造力
愛情、友情、憎しみ、複雑な人間関係、自然としての人体、社会の中での人間
個性、性格、思想、哲学、人生観、死生観、心と魂
→「人間 この未知なるもの」(アレキシス・カレル)
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HBMの提案
医療とは、人間の体と心をめぐる、人間の営み
→その根底には、「人間」がなければいけない。
人間を中心に据え、人間の視点に立ち、人間の幸福を目指すのが医療のあるべき姿
→「人間の人間に拠る人間のための医療」を!
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時代の流れの中でのHBM |
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ヒポクラテス |
現在の日本医療 |
EBM |
HBM |
医療の理念 |
神の意志 |
なし |
標準化 |
人間中心 |
医療の根拠 |
医者の能力と判断 |
なし(医者の思いつき) |
エビデンス |
人間性 |
医療の目的 |
患者の利益 |
なし(医者の自己満足) |
社会の利益 |
人間の幸福 |
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<ヒポクラテスの誓い(2400年前の医師のことば)>
「私は、自分の能力と判断に従い、患者の利益となると考える養生法をとる」
<現在の日本医療>
・理念なき医療→医者の論理で行われる人間不在の医療
・根拠なき医療→医者の思いつき、見えざる力(カネ、癒着)で左右される医療
・目的なき医療→医者の自己満足のための医療
「医者の、思いつきによる、自己満足のための医療」
→不幸、不安、絶望が生み出されている。
<EBM>
根拠なき医療からの脱却
→臨床試験で示されたエビデンス(統計学的事実)に基づいて医療を行う
目的は、「最大多数の最大幸福」(社会の利益)
<HBM(21世紀版ヒポクラテスの誓い)>
・医療の理念:「人間の医療」
・医療の根拠:「人間に拠る医療」→語り合い、人間関係、人間性に根ざした医療
・医療の目的:「人間のための医療」→「一人一人の人間のその人なりの幸福」
「人間の人間に拠る人間のための医療」
→幸福、安心、希望をもたらす真の医療へ
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モノサシの大きさとHBM |
ミクロ(小) |
等身大の人間 |
マクロ(大) |
分子・DNA・遺伝子 |
人間そのもの |
社会 |
分子生物学に基づく医療 |
HBM |
EBM(集団医学) |
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<分子生物学に基づく医療>
人間を分解し、分子のレベルで病気を眺める(現代医学の花形)
→個体としての人間への視点が忘れられがち
<EBM(集団医学)>
社会全体としての利益を追求する(「最大多数の最大幸福」)
→一人一人の人間よりも社会全体の利益が優先されてしまう
<HBM>
分子生物学、EBMを等身大の人間へと集約させる。→「モノサシは人間」
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生老病死と向き合うということ |
20世紀の医学は、生老病死をコントロールすることを目指して発展してきた。
生老病死は、人間の本質。それをコントロールしようとすれば、人間性は邪魔になる。
→人間不在の医療 →不幸、不安、絶望の医療
まずは、医学の限界を知るべき。「医学では生老病死を乗り越えられない」。
生老病死という人間の本質と向き合い、その中で人間の幸福を目指すのが医療の役割
→「生命をコントロールする医学」から「いのちと向き合う医療」へ
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HBMの実際
(1)医学の限界を知る
(2)生老病死ときちんと向き合う
(3)医療は自分のものであるという自覚を持つ(医療に主体的に関わる)
(4)治療目標をしっかり持ち、共有する
(5)最低限のエビデンスを共有する(エビデンスは共通言語)
(6)人間として語り合う
(7)人間の幸福を目指す
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「医療とは人間の幸福のためにある」
病院を「しみじみと幸せを感じられる場所」に! |
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