「もっといい日」

「もっといい日」2002年10月号
がんのある暮らし「がんをきっかけにニットデザイナーに」

★私の患者さんである平川さんが取り上げられました。

乳癌手術後、骨転移が見つかり、放射線治療と抗癌剤治療を受けた平川さんは、2年前に、私の外来をセカンドオピニオン目的で受診されました。以来、ホルモン療法とビスフォスフォネート点滴による治療を継続しています。がんで入院したのをきっかけにニットづくりを再開したということですが、今や、売れっ子のニットデザイナーとして、忙しい毎日を過ごされています。

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★以下、この記事に対するコメントとして掲載された文章です。

平川さんと出会って2年余り、私が医者としてしたことと言えば、ホルモン療法薬の処方と、月1回のビスフォスフォネート(骨転移治療薬)点滴くらいです。この間、病状の進行もなく、本文にあるとおり、平川さんは、ニットデザイナーとしての忙しい日々を送られています。診察室でお会いすると、その元気なお姿に、いつも私の方が励まされます。
遠隔転移のある乳がんの場合、がん細胞を体から完全に排除することはできません。だとすれば、敵が体の中にある以上、闘い続けるべきなのでしょうか、それとも、どうせ勝てないのなら最初からあきらめるべきなのでしょうか━━。そんな議論がよくありますが、私は、そういう議論の前提がおかしいと思っています。がんは「敵」で、治療は「勝負」。根治が「勝利」で、死が「敗北」。治らないのは「絶望」。そういうイメージがあるために、患者さんは、闘うにしても闘わないにしても、不安から抜け出せないでいます。
医療の本質は、闘うとか闘わないとか、そういう次元にあるのではなく、人間の幸福を追求することにあります。不安を抱える患者さんに安心を感じてもらい、絶望にうちひしがれている患者さんに、見えなくなった希望がまだ目の前にあることを知らせるのが真の医療です。
大事なのは、生きる目標をきちんと見据えること。それを治療目標に置き換えて、患者さんと医者が共有できれば、その目標に近づくのにもっとも適切な治療法について話し合うことができます。
平川さんと最初にお会いしたとき、「がんとうまく長くつきあう」ことを目標として決めました。抗癌剤をやめてホルモン療法のみとしたわけですが、これは、科学的根拠(エビデンス)のある妥当な選択です。すなわち、ホルモン療法に反応する再発乳癌に対しては、できる限り長くホルモン療法を継続し、安易に抗癌剤に切り替えない方が、副作用の小さい状態で長く生きることにつながります。
小難しいことを言わなくても、「がんとうまく長くつきあう」というのがどういうことかは、平川さんの笑顔と素晴らしい作品の数々が物語っています。彼女は、がんと闘い続けているのでもなく、闘うのをあきらめたわけでもありません。ただ、「がんのある暮らし」をごく自然に過ごされているということだと思います。平川さんの生き方を、ささやかながらサポートできたというのは、一人の人間として、とても光栄なことです。