HBM宣言
(HBM: Human-Based Medicine、人間の人間に拠る人間のための医療)
〜EBMの歴史的意義とHBM時代の夜明け〜

おわりに

 「EBMの歴史的意義とHBM時代の夜明け」ということで、私見を述べさせていただいた。HBMはまだまだ誕生したばかりの概念であり、文章としてまとめるのは、今回が初めてである。論旨が不明確な点もあるかと思うが、皆様からご批評いただき、インタラクティブな形でこの概念を育てていければ、と考えている。

 私は5年目の医者で(この論文の大部分を書いたのは3年目のときである)、医療についての思索もまだ緒についたばかりである。しかし、権威主義の世界に染まっていないからこそ書けることもあると思う。この論文が反感を呼び、私の将来にも影響しないとも限らないが、臨床現場に出て間もない身で感じたことを率直に書き残しておくことは、私が今後、医者として人生を送っていく上で欠かせないことだと考えた。数十年後に自分がこの論文を読み返すとき、医療が変わっているのだろうか、あるいは、私が変わって権威になびいているのだろうか。
 私は、医療とは、答えのない思索であると考えている。人間とは何か、いのちとは何か、死とは何か。考えれば考えるほどに、人間存在の壮大さと深遠さに圧倒される。私は、一生をかけて、この問いを考え続けることだろう。臨床現場で人間と対峙し、同時に、自らも老いていく中で、ひたすら思索を続けるのが、私のライフワークである。
 これまでの医療は、なぜ、人間を無視してこられたのだろうか。人間存在の深みにはまってしまうことを恐れて、あえて見て見ないフリをしてきたのだろうか。確かに、どろどろした人間性を切り捨てることで、医学や医療技術が発展してきたということは否定できないが、新しい千年紀を迎えた今、そのような医療が継続されることは許されない。医療は人間に回帰し、今一度、人間存在を正面から見つめなおす必要がある。私の主張するHBMとは、つまるところそういうことである。
 しかし、HBMの実現に立ちはだかる大きな壁がある。変化を受け入れようとしない医療システムと医者の意識である。権威主義の中で凝り固まった世界に風穴を開けるというのは、容易なことではない。悲しいことだが、私のような若造がいくら叫んだところで、権威のピラミッドはびくともしない。ピラミッドの裾野の石を拳で叩いているようなものである。でも、私はあきらめない。そんなピラミッドでも、大地が揺るげば打ち崩すことはできると思うからである。大地とは、すべての患者さんであり、すべての人間であり、これを読んで下さっている「あなた」のことである。すべての人間が医療についてもっともっと真剣に考え、医療を自分の手に取り戻そうと行動を始めれば、それは大地を揺るがし、医療を根底から変えることになる。

 病院での臨床、メールなどで寄せられる質問に答えるボランティア活動、執筆活動などを通じて、HBMの実現を目指す毎日であるが、これまでにお会いした数多くの患者さんやご家族から、多くのことを学ばせていただいた。この場を借りて改めて感謝したい。私自身、人間であり、その等身大の感覚を大切にしながら、今後の思索を展開してきたいと思う。