緩和医療についての文章集

 「緩和医療における輸液」 高野利実
臨床雑誌「内科」90巻1号(2002年7月号)pp101-105(南江堂)
<特集>輸液療法の初歩から応用まで


1、緩和医療とは

緩和医療とは、主にがん医療において用いられる概念で、根治の見込めない患者さんに対して行われる、症状緩和を主体とする全人的医療である。「根治治療」ががんの根治を目指すのに対し、「緩和医療」は、「がんとうまくつきあう」ことを目指す。可能な限り高いQOLを維持し、「その人らしさ」をサポートするための医療とも言える。
「根治治療」では、直接がんに働きかける「積極的治療」(手術、放射線、化学療法など)の占める割合が大きいが、「緩和医療」では、直接がんに働きかけることなく、がん症状の緩和や、治療の副作用の軽減を図る「支持的治療」の割合が大きくなる。しかし、「根治治療」を行うときに「支持的治療」も適宜用いられるべきであるし、「緩和医療」において「積極的治療」が有効な場面も多々ある。がん医療のいずれの局面でも、治療目標に照らしながら、「積極的治療」と「支持的治療」をバランスよく用いることが重要である。
緩和医療においては、がんの制御よりも、患者さんの人間としての生き方に重きが置かれるため、単純に医師の価値観で治療方針を決めることはできない。あらゆる治療やケアについて、患者さんの意向を確認し、患者さんの価値観に照らしてプラス面とマイナス面を評価する必要がある。医療従事者がよかれと思って行った処置が、患者さんには苦痛でしかないということもありえるのである。

2、輸液療法のプラス面・マイナス面

輸液療法は、点滴による化学療法などを除けば、基本的に、「支持的治療」に分類される。脱水の改善、栄養補給、電解質補正、症状緩和薬の投与などのプラス面があり、緩和医療においても欠かせない治療であるが、患者さんによっては、針を刺されること、点滴の管につながれること自体に、強い抵抗感を持っている方も少なくない。また、不適切な輸液を行えば、患者さんに苦痛や生命の危機をもたらす可能性もある。そういったマイナス面も慎重に評価する必要がある。医療の最終的な目標は、脱水、低栄養、電解質異常などの現象をコントロールすることではなく、患者さんの苦痛を和らげること、人間らしさを保つことだというのを忘れてはならない。
病状の進行に伴い、多くの場合、食欲低下をきたし、食事量や飲水量が減少する。また、治療上の理由や消化管通過障害、嘔吐症などのために、経口摂取が困難となる場合も多い。経口摂取で必要な水分量、カロリーをまかなえないとき、不足分を補う意味で輸液が行われ、必要があれば高カロリー輸液も検討される。全身状態良好で、数カ月以上の予後が見込めるときには、高カロリー輸液によるQOLの向上も期待できる。しかし、全身状態が悪化している中で高カロリー輸液を漫然と続けることは、逆に苦痛を増すだけであることが指摘されており、適切な時期に通常の輸液に切り替える必要がある1)。
脱水状態となれば、口渇、喀痰排出困難、混乱、せん妄、腎前性腎不全の原因となりうるため、脱水改善のための適度な輸液の意義はあるが、これらの病態は他の原因で起きている場合も多く、輸液で必ずしも改善できるわけではない。逆に、過度の輸液は、尿量増加(頻回の排尿、尿道カテーテルの使用)、気道分泌物増加(咳嗽、呼吸困難感、頻回の喀痰吸引)、消化管分泌物の増加(悪心、嘔吐、腹満)、全身浮腫、胸水、腹水の増悪を招くことが経験的に言われている2)。また、口渇については、輸液せずとも、わずかな水分、氷片を口に含むことで改善できることが知られている3)。
進行がん患者の場合、脱水、代謝の低下、腎機能低下、SIADH、利尿剤使用、ステロイド剤使用などの影響で、低Na血症、低K血症または高K血症が起こりやすい。また、主に、PTHrP産生や溶骨性骨転移の影響で、約10%に高Ca血症がみられる。これらの電解質異常は、過度になれば重篤な症状を起こしうるものであり、輸液を含む治療で、適度に電解質補正をはかることが重要である。ただし、死期が迫っているときには、電解質異常があることはむしろ自然な経過と考えられ、補正に主眼を置くべきではない。
ここでは詳しく述べないが、緩和医療における輸液のメリットとして、症状緩和薬の投与経路としての利用がある。モルヒネをはじめとする鎮痛剤、ステロイド剤、鎮静剤などが輸液とともに用いられる。ただし、薬剤投与は、経口、経直腸、皮下注射など別の方法でも可能であり、薬剤投与だけを目的に輸液を行うのはできるだけ避けるべきである。

3、終末期に輸液は必要か?

「緩和医療」を、死期の迫った患者さんに対する症状緩和治療として捉える考え方もある。これは、「狭義の緩和医療」であり、いわゆる「終末期医療」とほぼ同義で用いられる。狭義の緩和医療においては、がん症状の緩和に最大限の努力が払われるとともに、人間としての自然な経過も重視される。死期が迫り経口摂取が困難となった患者さんに対して、輸液を行うべきか否か、という問題については、今も議論が続いている1)4)5)6)。
終末期において、輸液が症状緩和につながるという明確な根拠はなく7)、輸液を行わずに経過をみても緩和不能な苦痛は出現しないことが報告されている3)。栄養補給・水分補給が、生存期間、治療の奏効率、入院期間など測定可能なアウトカムを改善させるか、ということについては、70以上のランダム化比較試験が行われているが、臨床上意義があるというエビデンスはない8)。逆に、中心静脈留置カテーテルのトラブル(感染、気胸、血栓)、高血糖、電解質異常による代謝障害など、輸液を行うことによる合併症は少なからずある。これらの事実を踏まえ、終末期医療において輸液は行うべきではないと主張する医師は多い9)。
一方、カナダ・エドモントンのグループは、せん妄や腎不全による症状が、輸液によって防げる可能性があることを示した上で、経静脈投与よりも安全で簡易な皮下補液(hypodermoclysis)や直腸補液(proctoclysis)を推奨している4)5)。
輸液(皮下補液などを含む)への賛否については、表に示した。

 

表:終末期患者に輸液を行うべきか否か
 

<輸液をするべきでないとする論拠>
・ 輸液によって予後や全身状態が改善すると言うエビデンスはない。
・ 輸液を行わなくても苦痛は増えない。
・ 輸液に伴う合併症が起こりうる。
・ 輸液をしない方が尿量、気道分泌、消化管分泌、浮腫、腹水が減り、症状緩和につながる。
・ 脱水が中枢神経に麻酔のように作用し、苦痛が緩和される。
・ 飢餓状態はある程度を過ぎれば平衡に達し、苦痛よりも多幸感を生むことが知られている。
・ 点滴ラインにつながっていることは不快であり、活動性を制限し、周囲の人との間に壁をつくってしまう。

 

<輸液をするべきだとする論拠>
・ 栄養補給、水分補給は、人間が根本的に必要とするものであり、単なる治療以上の意味を持つ。
・ 適切な輸液は症状緩和につながるはずである。
・ 輸液を行わないと、脱水・電解質異常により混乱、せん妄を引き起こすことがある。
・ 輸液は必要最低限の治療であり、これをやめることは、患者とのつながり、家族の望みを断ち切ることになってしまう。

 


1997年ヨーロッパの学会で発表されたガイドライン10)では、@病状・全身状態、A症状、B予後、C脱水の有無、栄養状態、D食事摂取量、E精神状態、F消化管機能、G栄養の投与経路による特別な管理の必要性、という8項目を総合的に評価し、QOLの向上、生命維持、脱水の改善などの明確な目標に照らして、輸液についての方針を決定するべきだとしている。

4、最後に


いやうまき採尿コップの氷かな
これは、江國滋氏が、食道がん手術の縫合不全のため、絶飲食・輸液管理がされている中、死を間近にしてようやく口にすることが許された一片の氷を詠んだ句である11)。おいしいものを食べたい、大好きな日本酒をぐいっと飲みたい、という希望を持ち続けていた江國氏が、採尿コップのたったひとかけらの氷を「いやうまき」と表現してしまうというのは、なんとも悲しいことである。同じ栄養・水分補給であっても、経口摂取と輸液とでは、患者さんにとっては意味がまったく違うということを忘れてはならない。
これからの時代、単に生物学的医学モデルに基づいて医療を行うのではなく、より深く「人間の幸福」を見据えて、一つ一つの医療行為に取り組むことが求められている。


<参考文献>
1) 恒藤暁:最新緩和医療学、最新医学社(1999)
2) Twycross R, Lichter I: The terminal phase. Oxford Textbook of Palliative Medicine (2nd ed), ed by Doyle D, Hanks GWC, MacDonald N, Oxford: Oxford University Press, pp977〜992, 1998
3) MaCann RM, et al: Comfort care for terminally ill patients. The appropriate use of nutrition and hydration. JAMA. 272(16):1263, 1994
4) Jose Pereira and Eduardo Bruera:エドモントン緩和ケアマニュアル、先端医学社(1999)
5) Fainsinger RL. Bruera E: When to treat dehydration in a terminally ill patient?. Supportive Care in Cancer. 5(3):205, 1997
6) Huang ZB. Ahronheim JC: Nutrition and hydration in terminally ill patients: an update. Clinics in Geriatric Medicine. 16(2):313, 2000
7) Viola RA. Wells GA. Peterson J: The effects of fluid status and fluid therapy on the dying: a systematic review. Journal of Palliative Care. 13(4):41, 1997
8) Klein S, Koretz RL: Nutrition support in patients with cancer: what do the data really show? Nutr Clin Prac. (9):91, 1994
9) Winter SM: Terminal nutrition: framing the debate for the withdrawal of nutritional support in terminally ill patients. American Journal of Medicine. 109(9):723, 2000
10) Bozzetti F et al: Guidelines on artificial nutrition versus hydration in terminal cancer patients. European Association for Palliative Care. Nutrition. 12(3):163, 1996
11) 江國滋:癌め、富士見書房、1997