ハーセプチン治療

  近藤誠氏「ハーセプチンと高野論文に思う」(イデアフォー通信第41号)に対する見解
 
今回、近藤さんからの寄稿が掲載されたことについては、私も望んだことでもあり、こうやって、イデアフォー通信の誌上で異なる意見がぶつかりあうというのは、読者の方々が、ご自分なりの判断、選択をする上で有用であると思います。

近藤さんは、冒頭の部分で文春論文の趣旨をまとめておられますが、文春論文での論調から比べると、かなりの歩み寄りが見られていて、正直、ほっといたしました。「いま話題の抗がん剤三種。有望なのは一つだけ」という見出しは、文藝春秋の編集者の意図によるものと思いますが、近藤さんが、タキソール、STI571、ハーセプチンについて、それぞれ、ダメ、いい、ダメの評価を下しているというのは、この論文を読まれた方の多くが感じたことでしょう。ハーセプチン治療は受けるべきではないというメッセージとして受け取った読者の方が多かったものと想像します。確かに、それを、「使うべきではないとする論調」というようにまとめてしまったのはいきすぎでしたが、そういう論調を読み取った方は私だけではなかったはずです。今回の近藤さんの寄稿により、それが誤解であり、
「ハーセプチンを使ってはいけないとか、抗がん剤と絶対併用するな、などとは主張していません」
「その人たちが考えたうえでの決断であれば、その決定は尊重されるべきだと思うのです」
という真意を知ることができたというのは、大きな収穫でした。ほっとされた患者さんも多いことと思います。文春の論文でもそこまで書いてほしかったというのが本音ですが、商業誌ではそれは難しかったのでしょうか。

ここまで歩み寄っていただければ、近藤さんと私の主張にほとんど違いはありません。2001年9月のソレイユのシンポジウムのときにも、「ハーセプチンはコテンパンにやっつけるよ」とおっしゃっていたものの、懇親会の席では「単剤ならやってもいいと思う」という意見で一致し、同じように感じました。

根底の部分で意見が一致したのはよかったのですが、近藤さんの細かい高野批判を読むにいたって、どんどん力が抜けていきました。近藤さんには、もっと大きいレベルで語ってほしかった、というのが率直な感想です。今回の寄稿を読んでいて悲しくなってしまった、という患者さんの声も聞きました。医者どうしで細かいことをネチネチとつつきあうような暇があるなら、目の前の患者さんのことをもっともっと考えてほしいと・・・。

私の考える医療の目的は「人間の幸福」であり、それは、私がシンポジウムで発言するときも、何かの文章を書くときも常に念頭にあります。今回の、近藤さんと私のやりとりで、不安や不幸を感じてしまった人がいるとすれば、悲しい限りです。この点は反省しなければなりません。

なので、細かい論点に細かく反応するのは、気が進まないのですが、以下、簡単にコメントしたいと思います。

まず、原文を正確に引用せずに、ハーセプチンについて、「使うべきでない」、STI571について「いい薬と断じ」、というように近藤さんの主張をまとめてしまったことは、確かに、正当な議論のルールを逸脱したものであり、反省したいと思います。

腫瘍縮小というエンドポイントについては、根拠とすべきではない、というのが私の主張です。議論に使われたハーセプチン単剤の臨床試験では、延命効果が調べられていないわけですので、延命効果について論じることはできません。「延命効果は調べられていない。したがって文春論文では、データが存在している腫瘍縮小効果と副作用について論じるしかなかった」と近藤さんは書いていますが、従来の抗がん剤治療と比べて腫瘍縮小効果が小さいということで、ハーセプチン治療の良し悪しを言うのは、「延命効果が一番のエンドポイントになります」ということから逸脱しているように思えます。近藤さんは、「腫瘍が小さくなって、副作用が非常に軽ければ、延命効果が得られている可能性があります」(イデアフォー通信第41号25ページ)と述べておられるように、「腫瘍縮小」「副作用」から「延命効果」が類推できるという立場のようですが、私は、「腫瘍縮小」と「延命効果」を結びつけて考えうるだけの根拠はないと考えています。このあたりの認識の違いが誤解を生んでしまったようです。

細かいようですが、単剤治療の臨床試験について簡単にまとめておきます。
今回の議論でも取り上げられたH0649gの臨床試験には、222人が参加し、奏効率は15%でしたが、この参加者は、それまでに様々な抗がん剤治療を受けてきて、厳しい状態となっていた人が多かったわけです。この222人のデータを他の臨床試験と単純比較するのは妥当ではありません。この臨床試験は、むしろ、そういう厳しい状態の人でも安全に使用することができる、ということを示したものとして受け止めるべきだと思います。
いっぽう、化学療法を希望しない114人が、転移がわかってから最初の治療(ファーストライン治療)としてハーセプチン治療を受けたというH0650gの臨床試験では、奏効率は26%、生存期間中央値は24.4ヶ月でした。転移後ファーストライン治療として化学療法単独と化学療法+ハーセプチン併用を比較したH0648gでの化学療法+ハーセプチン併用のデータをみてみると、奏効率50%、生存期間中央値は25.1ヶ月であり、H0650gでのハーセプチン単剤治療のデータは、奏効率ではこれに劣るものの、生存期間は遜色がないことがわかります。異なる二つの臨床試験のデータを比較しても、信頼できる根拠とはなりませんが、H0649gの腫瘍縮小効果のデータを云々するよりも、ファーストライン治療として条件の揃っている臨床試験で生存期間を論じることの方が有用に思います。しかも、このデータでは、腫瘍縮小効果(奏効率)が違っていても、生存期間には差がみられないわけですから、腫瘍縮小効果で生存期間を類推するのが不合理であることもおわかりいただけると思います。

いずれにしても、無治療vsハーセプチン単剤、ハーセプチン単剤vsハーセプチン+抗がん剤併用といった臨床試験の結果が出ていない現状において、あれやこれや議論しても、揚げ足取りの域を出るものではなく、これ以上不毛な議論は続けるべきではないでしょう。

「自ら行っている治療を擁護したいという(無意識的な?)防衛反応がはたらき、論理が乱れたのではないか」
という指摘は、否定できません。今、読み返して、私の論文に論理の欠陥は見当たりませんが、言葉遣いにそういう防衛反応が働いているのは事実であると思います。一緒に力をあわせて治療に取り組んでいる多くの患者さんの想いも、私の筆に影響しているはずです。「できるだけ公平に」というのは、今書いているこの文章でも心がけているつもりですが、唯一客観の公平など存在しないわけで、文章には必ず恣意性がついて回ります。今回、近藤さんと私とでお互いの恣意性を指摘しあうという一見不毛なことをしてしまいましたが、逆に、読者の皆様には、絶対的な真理など存在せず、むしろ、無数の事実と医者の恣意性が医療を動かしているのだということがわかっていただけたのではないかと思います。EBMといわれると、唯一の答えがあるかのように受け取られる方がいますが、このEBMですら、恣意性が介入しうるものであるということは、別のところで論じています(HBM宣言)。

近藤さんと私とで、違った視点からハーセプチン治療を論じることで、読者の方々にとって有用な情報となったのではないかと思いますが、その議論の中で非生産的な言い争いがあったというのは残念なことでした。この点は、素直に反省し、不快感をもたれた方々に深く謝罪したいと思います。

最後に、私の患者さんについて論文で触れなかったということについてですが、自分の少ない経験を根拠に医療を論ずることは、客観性を欠き、EBMの原則に反することですので、あえて避けたというのがその答えです。ひとりの患者さんについての延命効果というのは、誰にも証明することができないわけですし、腫瘍縮小効果も症状緩和効果も、「何もしなかった場合」「他の治療をした場合」と比較できない以上、その治療の有用性の根拠とはなりえません。
でも、近藤さんから、それを「不思議」と言われてしまったので、私の患者さんたちの名誉のためにも、ここで簡単に触れておきたいと思います。私がハーセプチン治療を行ったことで、長期間腫瘍の完全消失が見られた方がいます。単剤治療で腫瘍縮小状態が続いている方もいます。残念ながら亡くなってしまったものの、何もしなかった場合、あるいは、抗がん剤治療を続けていた場合よりも長生きしたであろうと想像できる方もいます(これは主観の域を出ませんが)。毎回ハーセプチンを点滴するたびに元気になっていく方もいます。遠い地方から今も往復7時間かけて毎週通ってこられる方もいますが、この方は1年間の治療で腫瘍縮小が続いています。
当然ながら、ハーセプチン治療中も腫瘍増大が続いてしまう人もいます。一旦縮小したあとに再増大をきたした方、肺転移は画像上消失したものの、皮膚で広がってしまった方もいます。比較的副作用の小さい薬ではありますが、長期間使用している方で、手足のしびれ、倦怠感など、ハーセプチンの影響かもしれない症状が出ている方もいます。
本当にいろいろな方とおつきあいさせていただいているわけです。腫瘍縮小効果などの客観的なデータについては、2002年6月の乳癌学会で発表しましたが、このようなデータはEBMの世界では、あまり信頼できる根拠とはなりません(学会発表では、ハーセプチンを単剤で開始することの意義について主張しましたが、これについても、明確な根拠があるわけではなく、これからの臨床試験の結果を待つ必要があります)。

「腫瘍とうまく長くつきあう」という目標を設定し、ハーセプチン治療に取り組んでいるというのは、すべての患者さんで共通していて、「小さい副作用で生存期間延長効果が得られている」という実感も得ています。これまで大きな合併症は起きていませんし、治療に伴ってQOLが著しく低下しているような人はいませんので、「小さい副作用」というのは間違いではないと思います。「生存期間延長効果」については、主観でしかありませんが、それなりにあるのではないかと思っています。

私が究極のエンドポイントと考えるのは、QOLでも生存期間でもなく、「人間の幸福」です。これを主治医の私が判断することはできませんが、患者さんそれぞれが、それぞれなりに感じている恩恵はあるのだと思っています。

私が患者さんを幸福にしているなんていうおこがましいことを言うつもりは毛頭ありませんが、常にその目標を第一に考えて、患者さんと話し合い、個々の医療に取り組むように心がけているつもりです。
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