ハーセプチン治療

  イデアフォー通信40号(2001年9月15日発行)より
  ハーセプチン治療をめぐって 
      ―がん医療の意味を考える―
   今回、イデアフォーの会誌に初めて寄稿させていただく機会をいただき、光栄に存じます。私は、がんの臨床を勉強中の内科医で、今は乳がんと肺がんを主に扱っています。「夢の乳がん治療薬」としてマスコミで取り上げられている話題のハーセプチンについて、より公平な視点から皆様にご紹介したいと思います。自己輸入でのハーセプチン治療を10件ほど扱い、保険適応となったのちは、はからずも都内で最も多くの患者さんにハーセプチン治療を行う医者となってしまった(推定)立場で、公平なものいいができるかどうかわかりませんが、ハーセプチン治療を望まれる患者さんと、ハーセプチンを扱う医者との間の温度差を埋め、よりよき医療が行われるために、私の駄文がいくらかでも参考になれば幸いです。また、ハーセプチンについて書くように、というのが今回のご依頼でしたが、少し、それから逸脱して私の医療観もご披露させていただくことをご容赦ください。
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  <ハーセプチンとは>
 ハーセプチンは、一般名をトラスツズマブといい、HER2という細胞表面に存在するたんぱく質と結合する抗体です。乳がんの患者さんの20〜30%で、がん細胞表面のHER2過剰発現がみられ、過剰発現のみられない場合に比べて、がんの進行が早いことが知られています。このHER2の働きを何らかの方法で抑えることができれば、増殖を抑えられるのではないか、という発想で開発されたのが、HER2のモノクローナル抗体であるハーセプチンです。あるたんぱく質を抗原として認識し、それと結合して反応するたんぱく質を抗体といいます。HER2というたんぱく質を抗原とする抗体だけを、特殊な技術を用いて大量に作り出したものが、抗HER2モノクローナル抗体です。詳しい作用メカニズムはまだ解明されていませんが、実際に臨床試験でHER2過剰発現のみられる転移性乳がんの患者さんにハーセプチンを投与したところ、どうやら効果があるらしい、ということがわかりました。これまでの抗がん剤とは発想の異なる新しいタイプの治療薬ということで、一気に注目を集めることになったのです。

<臨床試験で生存期間延長効果が明らかに>         
 「効果がある」という結論を導いた臨床試験のうち、代表的な二つは1998年のASCO(米国臨床腫瘍学会)で発表されています。222人にハーセプチン単剤治療を行った第2相試験(ASCO 1998;17:97a)では、この治療の安全性が示され、15%の人に腫瘍縮小効果がみられたと報告されました。また、469人を抗がん剤のみと抗がん剤+ハーセプチン併用に振り分けて比較した第3相試験の中間報告(ASCO 1998;17:98a)で、併用療法の効果が示唆され、これに基づいて、米国FDAは、ハーセプチンを異例のスピードで認可しました。後者の臨床試験については、今年3月にNEJM(ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン) 2001;344:783-92で最新の報告がされ、生存期間延長効果も明らかになっています。転移性乳がんについては、抗がん剤自体の生存期間延長効果が明確に示されたことはなく、そんな中で、副作用の小さいハーセプチンによって生存期間延長効果が示されたというのは、評価されるべきことだと思います。ハーセプチン単剤と無治療の比較試験や、ハーセプチン単剤とハーセプチン+抗がん剤併用の比較試験が行われていないため、正確なことはまだ言えませんが、条件に合致している方にとっては、ハーセプチンの恩恵は十分にあると考えていいように思います。
 ただ、腫瘍を完全になくすとか、腫瘍を劇的に縮小させるとか、そういう目的でハーセプチンを用いることは妥当ではありません。単剤での腫瘍縮小効果はわずか15%にみられるだけですから、腫瘍縮小を目指すのでは、ほとんどの人で「効果なし」ということになってしまいます。「だから、単剤では使うべきではなく、抗がん剤と併用するのが原則だ」との声もありますが、それも短絡的であると私は思っています。腫瘍縮小ががん医療の最終目標ではないからです。
私が転移性乳がんの治療目標としてよく患者さんに説明するのは、「腫瘍とうまく長くつきあう」ということです。「うまく」というのは、症状の小さい状態、治療の副作用で苦しむことのない状態を保つことで、「長く」というのは、そういう時間をできるだけ長くすごすということです。小さい副作用の治療で生存期間延長効果が得られるのであれば、まさにこの目的にかなったものであると言えます。
 ハーセプチンは、初回投与時に高頻度で発熱や寒気が起こる以外、副作用は軽微であることがほとんどで、これまでの抗がん剤治療に比べれば、体の負担は楽であることは間違いありません。しかし、100%安全な薬というわけでもありませんので、投与する場合には慎重な対応が求められます。海外では、投与後24時間以内に重篤な副作用が起こり、死亡してしまった例も報告されています。また、抗がん剤と併用する際に、心機能低下が高頻度で起こることが指摘されているため、心機能のこまめなチェックが必要です。もともと心機能低下の副作用を有するアントラサイクリン系抗がん剤との併用は避けなければいけません。

<ハーセプチン治療の適応>
 ハーセプチン治療は、現在のところ、がん細胞にHER2の過剰発現がみられる転移性乳がんの患者さんだけに適応が限られています。HER2陰性の方には効果は期待できず、投与することはできません。(HER2の検査が行われていない方も適応外となります)。また、早期乳がん手術後の補助療法としての効果はまだわかっていません(現在、臨床試験が進行中)ので、そういう使い方は臨床試験でなければすることができません。肺がんや卵巣がんなどにおいてもハーセプチンの臨床試験が行われていますが、認可の見通しは立っていません。
 ハーセプチン治療を希望される方は、まずは、自分がハーセプチン治療を行う条件を満たしているかどうかを確認する必要があります。HER2検査の結果がわからない場合は、主治医に尋ねてください。検査を行っていなければ、以前の手術時の検体で検査をしなおすか、現在ある腫瘍を生検して調べる必要があります。ハーセプチン治療の適応のある方でも、病状や全身状態を考慮し、治療の限界も理解したうえで、自分の考える治療目標に合致した効果が期待できるのかどうか慎重に検討しなければなりません。ハーセプチンさえ使えればすべてが解決できるというのは幻想です。
 また、HER2が陰性であることを残念がる方がいらっしゃいますが、HER2陰性ということは、進行が比較的ゆっくりであるということを意味しますので、むしろいいニュースとして受け取っていいと思います。正確な表現ではありませんが、「ハーセプチンは、HER2陽性細胞をHER2陰性細胞の性質に近づけるための治療」という考え方もできます。HER2陰性であれば、すでにハーセプチン治療を受けているのと同じ状態を達成できていると考えてみればいいのではないでしょうか。

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 以上、ハーセプチン治療について、できるだけ公平な視点で書いてみました(偏りがまったくないというつもりはありませんので、皆様なりによくご検討ください)。巷にあふれている情報といささか趣が異なっていることにお気づきの方もいらっしゃるかと思います。ここでは、マスコミが流している情報の一部と、私がボランティアをしているCancer Net Japanへ寄せられた反応を検証してみたいと思います。

<患者に過剰な期待を持たせたマスコミ報道>
 ハーセプチン治療をめぐるマスコミの対応ですが、1998年に米国FDAが認可した頃から少しずつ紹介されるようになりました。日本での保険適応が遅れる中、新薬への期待は徐々に高まっていき、「25000人中15人が副作用死」というニュースも逆風とはならず、やがて、「幻の特効薬」「がんを治す奇跡の薬」といったイメージが一人歩きするようになっていきました。1999年11月、Cancer Net Japanのホームページに、私の書いた「乳ガンの新しい治療薬『ハーセプチン』」という記事が掲載されると、Cancer Net Japanあてにハーセプチン治療についての問い合わせが殺到するようになり、必要に迫られて、私たちは、自己輸入による治療を開始することにしました。遠隔地から相談があった場合には、協力してくれる医師を探してもらい、自己輸入の方法だけお教えしました。もちろん、相談があっても、無条件にハーセプチン治療に結びつけるということはせず、正確な情報を提供して、その患者さんが本当にハーセプチンによって恩恵を受ける可能性があるのかどうかについて話し合いを重ねた上で、限られた人について治療を行いました。ハーセプチン1320mg(体重55kgの方で11回分)の輸入に約90万円かかる高価な治療であり、しかも、日本では認可前であるわけですから、責任の所在も含めて、慎重な話し合いが不可欠でした。今年1月4日には『読売新聞』「医療ルネサンス」で自己輸入によるハーセプチン治療の話題が取り上げられ、また相談件数が増えました。当初2000年の認可と言われていたものが、結局、日本で保険適応となって使用できるようになったのは今年6月のことでした。じらされた分だけ期待も積もり積もっており、マスコミの方々も力を入れてこのニュースを伝えました。
 7月22日の『朝日新聞』日曜版では、「これまでの方法では治すのが難しかったものに新しい治療薬が登場した」と、あたかも、ハーセプチンが転移性乳がんを治癒させうるかのような表現がなされ、よく効いた一人の患者さんが紹介されています。臨床試験のデータも具体的な数字では示されておらず、公平な情報とは言い難いものです。さらに、『週刊現代』7月14日号には、平岩正樹氏のレポートとして、「『ガンを治す』外資のあの新薬がついに承認された!」という記事が掲載されています。不正確な記述で、「エレガントさ」だけが強調され、肝心な「どのような効果が期待できるのか」ということには触れられていません。そんな内容でも、タイトルがタイトルなだけに、読者の頭には、過剰な期待が膨らんでしまいます。

<近藤氏によるハーセプチン批判はいきすぎ>
 こういう状況を受けて、近藤誠氏は、『文藝春秋』9月号で、「夢の治療薬」というイメージが広がることに警笛を鳴らしています。「問題は、専門家、製薬会社、そしてマスコミによって根拠のない夢が語られ、病人たちがいても立ってもいられない気持ちに駆り立てられてしまうことではないか。その結果、臨床現場では、これが駄目ならそれ、それが駄目ならあれ、といった具合に、つぎからつぎへと新たな抗がん剤が提示され、患者は懊悩しながらもそれをうけ、副作用に苦しみ、死ぬまで気持ちと身体がやすまる暇がない、という状況になっています」という指摘は、まったくその通りだと私も思います。
 ただ、「だから、ハーセプチンは使うべきではない」とする論調はいきすぎです。同じ記事で、慢性骨髄性白血病に対するSTI571治療については、「有望」との評価を与えていますが、現時点で示されているエビデンスを公平にみる限り、STI571とハーセプチンの有望性にそれほど差があるとは思えず、一方を「有望」、他方を「有望でない」と断じる近藤氏の主張は恣意的と言わざるを得ません。近藤氏がSTI571の有望性の根拠としている臨床試験(NEJM 2001;344:1031-7)は、第1相試験であり、安全性と忍容性の評価が主な目的です。これに参加した人において、白血球数が正常化した人が多かったからといって、比較試験でない以上、効果のあるなしを論じることができないということは、皆様もよくご存知のことと思います。そもそも、白血球数の増減よりも重要なエンドポイント(治療目標、効果判定基準)と考えられる生存期間は、ここでは評価されていません。この治療の有効性を言うには、現在進行中の第3相試験(インターフェロン+シタラビンと生存率などを比較)の結果を待つ必要があるのです。私自身、STI571の有望性には期待を寄せており、この点において、近藤氏の主張に異論はないのですが、第3相試験の第1エンドポイントで有意差のついているハーセプチン治療を批判したその筆で、第1相試験のみを根拠にSTI571をいい薬だと断じる恣意性に違和感を覚えずにはいられません。
 なお、近藤氏がハーセプチンを批判する根拠としているのは、私が前半で紹介したのと同じ二つの臨床試験の結果です。単剤での第2相試験について、近藤氏は、ハーセプチン治療で15%でしか腫瘍縮小効果がみられないのは、従来の抗癌剤治療と比べて低すぎると主張しています。ここで近藤氏は、腫瘍縮小効果をエンドポイントとして重視しているわけですが、この論理でいくと抗癌剤治療の方がいいということになり、近藤氏のこれまでの主張と矛盾が生じます。また、抗癌剤との併用の第3相比較試験について、近藤氏は、生存率曲線が42ヶ月を経過したあたりで交わることを問題としていますが、根治を目指す治療でない以上、何年も時間がたてば、生存率が同じ程度に収束するのは当然のことであり、何年も先でのできごとについて直接の問題としてかかわるのは、ごく一部の患者さんに限られます。そういう細かいことを取り上げて、より多くの人にとって切実な、数年内における生存率延長効果を無視するというのは妥当とは思えません。どんな臨床試験でも、結果がでた後で、細かいところをほじくり返して、恣意的にエンドポイントを設定すれば、異なる結論を導くことができることが知られており、こういう混乱が起きないように、臨床試験開始時に、「これでこの臨床試験の評価を行います」という「第1エンドポイント」と、いくつかの「第2エンドポイント」があらかじめ決めておく約束になっています。この臨床試験で「効果あり」とされたのは、第1エンドポイントである「再増大までの期間」と第2エンドポイントである「生存期間」について、ハーセプチン併用群の方が明らかにすぐれていることが示されたからです。42ヵ月後の生存率だけをとってこの結論を覆すことはできません。「延命効果は、あって5ヶ月程度でしかない」と言って、ハーセプチン治療はだめだと近藤氏は主張しますが、この「5ヶ月」をどう捉えるかは、患者さんの考えることであり、ハーセプチン治療の副作用が小さいことを考慮すれば、穏やかな治療で5ヶ月の延命、というのは、多くの患者さんにとって恩恵といえるのではないかと私は考えています。

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  <エビデンスは患者さんの意思決定を助けるためのもの>
 一般受けする(マスコミ受けする)ためには、断定的に書く必要があるというのはよくわかりますが、ここで大事なのは、「あれはだめでこれはよい」という判決を下すことではなく、それぞれの患者さんが、それぞれの治療目標を明確に持ち、それにかなった治療を納得できる形で選択できるようにすることではないでしょうか。
 EBMで根拠となるエビデンスは、絶対的な根拠ではなく、相対的な根拠です。「あるエンドポイントを設定した時、Aという治療とBという治療では、Aという治療の方が相対的にすぐれている」という臨床試験の結果の積み重ねがエビデンスとなります。エンドポイントの設定によって、評価が異なるというのは前述のとおりであり、同じ臨床試験の結果から、まったく正反対の結論を導くこともできます。意見が真っ向から対立している近藤氏と平岩氏が同じ論文を根拠に論を展開していることをみればよくおわかりと思います(文藝春秋の記事にも触れられている福島雅典氏との論争についても同様です)。また、近藤氏が、生存期間延長効果よりも42ヶ月後の生存率や、白血球数を重視して変幻自在に治療の善し悪しを主張していたりしていることも、EBMの危うさをよく示していると思います。
 医者が、恣意的な「エビデンス」をふりかざして、自分の思い通りに患者さんを丸め込むことは、EBMの本質とはかけ離れた行為であり、これまで長らく批判されてきたパターナリズム(父権主義)そのものです。言うまでもなく、医療の主体は患者さんであり、患者さんの意思決定を助けるために、エビデンスを用いるというのが、真のEBMです。影響力の大きい医師たちが、教祖のようになって、自分の思想に沿ったエビデンスを流布し、患者さんがただそれを信じきって「教え」に従っているのでは、いつまでたっても、患者さん主体の医療というのは実現できないのではないでしょうか。
 「治療目標を明確に持ち、それを主治医との間で共有した上で、公平な情報(エビデンス)に基づいて話し合いを重ね、納得できる治療法を選択する」というのが、私の主張する医療の姿です。患者さん自身が「がんと闘わない」という目標を定めて、近藤氏のもとで医療を受けたり、「次から次へと抗がん剤を重ねてでも死ぬまでがんと闘い抜く」という目標を定めて、平岩氏のもとで治療を受けたり、患者さんが納得した形で選択するのであれば、誰もそれに異を唱えることはできません。しかし、患者さんの自由意思に反して医者主導で治療方針が決められることはあってはならないのです。
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  <「人間の幸福」をサポートする医療を>
 私が転移性乳がんの治療目標として考えているのは、前述したとおり、「腫瘍とうまく長くつきあう」ということです。そして、その先にあるのは、それぞれの患者さんの、その人なりの幸福です。医学に限界がある中で、医学にだけ希望を求めようとすることは、患者さんにとって酷なことです。果たせぬ目的のために治療の苦しみを味わい続け、絶望に至る、という流れは、私には、「人間の幸福」とかけはなれたもののように思えます。「人間の幸福」をきちんと見据え、そのために何ができるかを、すべての人が真剣に考えるべきなのです。医学に限界があっても、「人間の幸福」をサポートするという意味において、医療には無限の可能性があります。「夢の新薬」にすべてをかける、というように思い詰めるのではなく、そういう新しい治療も適当に用いつつ、より大きい医療の可能性に目を向けていくべきではないかと私は考えています。
 限られた分量でしたので、理屈っぽい話ばかりになってしまいましたが、私の医療に対する素朴な想いなどは、他のところでご紹介していますので、またの機会にお読みいただければ幸いです。ご批評をお待ちしております。
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