「がん治療最前線」2001年7月号
ASCO(米国臨床腫瘍学会)緊急報告 肺癌編
ASCOで考えた「がんとのよりよいつきあい方」
〜肺癌・分子標的治療を中心に21世紀がん医療を展望する〜

大量に押し寄せてくる情報の波にもまれた4日間を終え、私は、サンフランシスコから成田へと向かう機内で、がん医療の意味を考えながらこの原稿を書いている。
がん医療の専門家たちが世界中から集まる世界最大の学会、ASCO(米国臨床腫瘍学会)。最先端の臨床試験や基礎研究の結果が次から次へと報告され、それに基づいて議論が行われる4日間。新しい薬の画期的な報告がある一方で、大きなブレイクスルーのないまま同じような臨床試験が繰り返されているという現実もある。こういう学会で感じるのは、「臨床試験のための医療」「学会報告のための医療」であり、「患者さんのための医療」が前面に出てくることはあまりない。それが学問というものなのだろうが、学会で発表される世界最先端の研究と、臨床現場におけるがん治療最前線(患者さんのための医療)とをつなぎあわせるのが、がん専門医の仕事である。
このような一般の方々向けの雑誌に「医者のための学会」の報告を医者が書くということに違和感を感じないわけではないが、医者がどういう背景で医療に取り組んでいるのかの一端を皆様にも知っていただければ、患者さんが病気と向き合い、医者と向き合い、医療と向き合うときの一つのヒントになるかもしれないと思う。かなり専門的な内容も含まれるし、一人の偏った目でみた報告なので、公平な情報とは言えないかもしれないが、だいたいの雰囲気を感じ取っていただければ幸いである。

<肺癌をめぐる話題>
米国では、がんによる死亡の第一位は男女とも肺癌が占めており、ASCOにおいても肺癌の扱いは特に大きい。日本でも、男性ではがんによる死亡の第一位、女性では第二位(一位は胃癌)を占めており、なおも増加傾向にある。予後の悪いがんであるため、肺癌と診断されたときには、治療目標(がんとのつきあい方)をしっかりと定めて、エビデンスに基づいて、適切な治療法を選択する必要がある。
手術、放射線治療、抗がん剤治療(化学療法)をどのように組み合わせるのがもっとも適切か、これまでに数多くの臨床試験が行われてきているが、実は、まだ解決されていない問題も多い。今回のASCOにおいては、これまでにわかっていることの総括がなされるとともに、今残されている課題について議論が行われた(肺癌には、小細胞肺癌と非小細胞肺癌があるが、ここでは数の多い非小細胞肺癌についてのみ述べる)。
まず重要なのは、病期を含めた診断であり、手術が可能かどうか(手術によって恩恵を受けられるかどうか)を正確に評価した上で適切な術式を選択する必要がある。現在、ステージVaまでが手術可能とされているが、これを正確に診断するためには、CT、縦隔鏡、PETなどの診断技術をうまく使う必要がある。ステージU以上の場合、手術可能とはいえ、局所再発、遠隔転移の可能性は少なからずあり、手術に他の治療を組み合わせることが試みられている。手術後に放射線や化学療法を行う方法がまず試みられたが、この方法では、生存期間にはほとんど影響しないことがわかった。一方で、手術後ではなく、手術前に化学療法または化学療法+放射線治療の併用療法を行う場合については、有効性が示されつつあり、今後は、これらの術前治療が一般的になると思われる。いずれにしても、診断の段階から、外科医、内科医、放射線科医が意見交換をして、患者さんのためにもっとも適切な治療法を選択することが求められる。日本では、いまだに、外科医が診断して手術を行い、手術の結果次第で術後治療(放射線治療や化学療法)を考える、というような状況が続いているが、術後治療に生存期間延長効果がほとんどみられないことを考えると、手術をすべきかどうか、術前治療を行うべきかどうかについて、手術を行う前に、内科医や放射線科医を含めてきちんと話し合う必要がある。
ステージVbまたは、遠隔転移を有するステージWについては、手術によって恩恵を得ることはないため、化学療法と放射線治療が治療の主体となる。化学療法は、白金製剤(シスプラチン、カルボプラチン)を含む2剤併用療法が標準であるが、組み合わせ方を変えても、生存期間にはほとんど差が出ておらず、絶対的な標準治療というのは存在しない。白金製剤に加える抗がん剤としては、パクリタキセル、ドセタキセル、ビノレルビン、ゲムシタビンなどの新規抗がん剤と呼ばれる薬剤があり、これらの間に効果の差はほとんどないため、副作用の大きさが選択基準として重要である。今回のASCOでは、白金製剤+新規抗がん剤という組み合わせのほか、さらに別の新規抗がん剤を加える3剤併用療法、白金製剤を含まない抗がん剤療法(単剤または2剤併用)の効果と副作用をみる臨床試験が数多く報告されており、「3剤併用療法は副作用が増えるだけで効果は変わらない」「白金製剤を含まない抗がん剤は副作用が軽く有望である」という傾向がみられた。高齢者、全身状態のすぐれない方、一回目の抗がん剤治療がうまく効かなかった方などには、新規抗がん剤の単剤治療の有用性が示されるなど、状況に応じた使い分けが必要と思われた。化学療法と放射線治療を同時に並行して行う方法と、時期をずらして行う方法については、同時並行の方が効果が高いことが示されつつあるが、食道炎や骨髄抑制などの副作用も大きい傾向があるので、これに対する対策も必要である。
ここ数年の傾向として、抗がん剤による劇的な生存期間の改善はみられておらず、そういう意味では、抗がん剤の限界が見えてきた感もあるが、そういう限界の中で、「同等の効果ならばできるだけ軽い副作用で」という方向性を追求する姿勢は、違った意味で患者さんに恩恵をもたらしていると言える。副作用対策の進歩もあり、「つらい副作用に耐えて、がんと闘い抜く」というかつての抗がん剤のイメージは払拭されつつある。化学療法や放射線治療を行わない場合と比べて、それを行うことが本当に患者さんの幸せにつながるのか、そういう原点に立ち返って、一つ一つの治療に取り組む必要があるし、患者さんには、自分が取り組む治療の目標を明確に持って、主冶医と納得できるまで話し合うという姿勢が求められる。たとえがんを完全になくすことができないとしても、「がんとうまく長くつきあう」という治療目標を設定して、それを目指すことは十分に可能であり、今後のがん医療はそういう方向で発展していくべきである。

<分子標的薬>
今回のASCOのトピックは、分子標的薬である。毎年、数題の演題が厳選され、プレナリーセッション(総会)と呼ばれる場で発表されるが、今年のプレナリーセッションでは、STI571という分子標的薬に関する演題が2題取り上げられ、喝采を浴びていた。STI571は慢性骨髄性白血病(CML)の治療薬としてすでに効果の示されている薬剤であるが、今回は、これが、白血病ではない固形腫瘍に対しても高い効果をもつことが示されたのである。GISTと呼ばれる内臓腫瘍が対象となっていたが、現在、小細胞肺癌、前立腺癌、脳腫瘍に対しての臨床試験も進行中であり、その結果が期待される。これ以外にも、期間中、様々な会場で分子標的薬に関する演題が発表された。標的分子としてもっとも有望なのは、細胞増殖のために必要な情報伝達経路に関わる分子(EGFR、HER2、Ras蛋白、BCR-Abl)である。EGFRに対するモノクローナル抗体(C225)、EGFRチロシンキナーゼ阻害剤(イレッサ, OSI774)、HER2に対するモノクローナル抗体(ハーセプチン)、Ras蛋白の情報伝達阻害剤(ISIS3521)、BCR-Ablチロシンキナーゼ阻害剤(STI571)などがある。この他、血管新生に関与する分子(VEGFなど)を標的とする薬剤も開発中である。有望な発表がある中で、血管新生、腫瘍浸潤に関わる分子MMPを阻害する薬として期待されてきたマリマスタットについては否定的な結果が報告されるなど、この方法の限界も示されている。
分子標的薬は、これまでのがん治療で考えられてきたような「がんを根絶させるための治療」ではなく、これでがんを克服できると考えるのは誤りである。「がんと闘う」のではなく、むしろ、「がんとうまく長くつきあう」ための薬剤として捉えるのが適切だと私は考えている。これまでの抗癌剤と比較して、副作用も穏やかであり、適切に用いれば、がんの増殖を適度に抑えながら、長くつきあうことも可能だと思われる。なお、これらの薬が一般に使われるようになるまでには相当の時間がかかることが予想される。情報だけが先行して、実際に使えないというのは、不安なことかもしれないが、「がんとうまくつきあう」ために必要なのはそういう最先端の薬剤だけではないということを知っておいていただきたいと思う。いくら医学が発展したとはいえ、がんに与えられる影響はごくわずかである。そのわずかな効果のために「最後の望みを託す」というのは適切とは思えない。現実にある医学の限界の中で、むしろ、人間としていかに生きていくか、ということの方が重要である。分子標的薬は、それをさりげなくサポートするような薬になってほしいと思う。